広島商OBで元広島監督の達川光男氏(64)が、決勝の始球式に登板した。73年8月22日の決勝で静岡を倒し、優勝を飾った広島商の正捕手。マウンドに上がったとたん、星稜アルプスから大きな拍手と歓声が起こり、それが場内へと広がっていった。

「試合の前やけん、当てたらいかんと思うて」と、履正社の1番打者・桃谷惟吹(いぶき)外野手(3年)に配慮し? 外角高めに大きく外れる投球も、内外野スタンドから大きな拍手を送られた。

マウンド横で待機していた星稜のエース奥川恭伸(3年)と握手し、捕手の山瀬慎之助(3年)とも握手。「奥川君には『頑張ってください』と言いました。山瀬君には『頑張れ』と。奥川君には三顧の礼をつくして。山瀬君は(同じ捕手で)同業者じゃから」と、エースへの敬語使用の理由を説明した。受けたい投手の存在については広島商の後輩エースの名前を挙げたが、そのあとで「奥川君です」とにやりと笑い「ぼくらの同世代には江川がいた。今の世代は間違いなく『奥川世代』になるでしょう」と付け加えた。

取材陣を笑わせ続けたあとで、表情を引き締め「本来は私が投げるべきではない。佃の代わりに来ました」と、73年春夏甲子園をともに戦い、07年に亡くなったエース佃正樹氏の名前をあげた。「佃に教えられたのは、捕手とは投手を孤独にさせてはいけないということ。ある試合で私が元気がなかったとき、佃がマウンドから歩いてきて『ボールを呼んでくれ。お前が呼んだところに投げたい。お前が頼りなんじゃ』と言ってくれた。きょう、その意味がよくわかりました」と投手を務め、プロ球界を代表する名捕手はあらためて旧友の言葉の重みを心に刻んだ。