智弁学園ナインはスタンドへのあいさつを終えると涙にくれた。先発西村は2番手の小畠と号泣しながら抱き合った。「今までありがとう」と言うのがやっと。2人で9失点。準決勝までの5試合は1試合3失点以下だったが、完敗だった。西村は「2年半、一緒に投げて勝ったり負けたりした試合があった」とむせび泣いた。捕手の植垣も泣き崩れ、小坂将商監督(44)はそっと寄り添い、その肩を優しくたたいた。

「新チーム当初から日本一を目指していた。最後は日本一になれなかったが、3年生は本当によくやったと思います」

65年の創部以来、20度目の出場で初めて進んだ夏の決勝。西村は「立ち上がりに様子見をしてしまった」と1回に5長短打を浴びて4失点。準決勝で1失点完投の小畠も4回5失点と相手の勢いを止められなかった。9回の被弾直後に「まだ終わってないぞ」と声が飛んだが、打線は2回に挙げた2点のみに終わった。

小坂監督は兄弟校対決に燃えていた。中学卒業の際、希望した地元の智弁和歌山には進めず、智弁学園に入学した。野球を諦めてラグビー部に入ることも考えたが、指導者たちに支えられ、左袖に「奈良」を記したユニホームを選んだ。3年の95年夏に主将として甲子園4強。法大、松下電器(現パナソニック)をへて、指導者として母校に戻った。「和歌山」はずっと意識する存在だった。前回甲子園で敗れた02年夏はコーチ。監督として雪辱できず「絶対勝ってやるという気持ちで乗り込みましたけど、力不足でした。悔しいのひと言ですね」と受け止めた。本気で目指した日本一。「6試合させてもらって自分自身も勉強があった。持ち帰って成長してやっていきたい」。夏の頂は、持ち越しとなった。【林亮佑】