日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

   ◇   ◇   ◇

沖縄は高校野球熱の高い土地柄で知られる。興南高ではグラウンド敷地内で大規模工事が行われている真っ最中。高校野球では県内初の人工芝を敷いた練習場に生まれ変わるようだ。

ブルドーザー、トラックが行き交うと同時に、ファウルゾーン、外野部分に人工芝を敷く作業が急ピッチで進められた。もともとは内外野とも全面土のグラウンドだった。

監督の我喜屋優は「ちょっとした雨降りでも練習が可能になるが、それよりも土埃がひどく立って、近隣からの苦情もあったし、ご迷惑をかけていた」と切り替えの理由を明かした。

沖縄と高校野球は特別な歴史がある。1958年(昭23)、首里高が県勢から甲子園に初出場したが、米国の統治下で、甲子園の土は植物検疫法で持ち帰ることができず、海に捨てられた。後で日本航空の客室乗務員が小石を贈った。

10年後の68年、興南高が県勢初の4強入り。当時の「4番」が我喜屋だった。甲子園では新聞記者から「日の丸を見た感想は?」「授業は英語なの?」といった質問を受けて傷心した。

10年の興南高は、史上6校目の春夏連覇を達成。初めて深紅の優勝旗が海をわたって沖縄にやってきた。現在コーチの島袋洋奨がエースだった。

野球の名門といえる興南高だが、学園理事長で経営者でもある我喜屋の信条は「野球バカは育てない」-。今回の人工芝に改装する先にも、野球のためだけでない、我喜屋らしい発想があった。

「沖縄には米軍基地もあるし、内地とは置かれた環境が違う。正月から北陸が能登半島地震に見舞われたが、人ごとではない。人工芝グラウンドは、もし震災などが起きた際の避難地としても提供できればと考えている。うちは近隣と寄り添って、共存共栄していくつもりだ」

ノンプロの大昭和製紙北海道に所属し、北海道・白老町に住んだ我喜屋は、93年の北海道南西沖地震(奥尻地震)を経験している。マグニチュード7・8で、津波を伴った悲惨な光景に心を痛めた。

「これから開催する予定の行事では、少しでも被災した北陸地方の復興の力になればと、募金活動なども考えたい。グラウンドも土と天然芝が理想的なのは確か。でも今後は学校経営にも多様性が求められる時代だ」

内野は甲子園と同じ黒土で、後は人工芝に変身する。春はセンバツから、といった声が聞こえる季節には完成の予定。名監督はまた新しい“沖縄旋風”のシナリオを描いている。(敬称略)