初出場の南北海道代表・札幌日大が京都国際に3-7で敗れ、初陣初勝利には届かなかった。
先発した左腕エース小熊梓龍(しりゅう)投手(3年)は、初回に4失点するなど4回途中7安打7失点。打線も12安打で3点を挙げたが、初回の失点が響き、追いつけなかった。菊地飛亜多主将(3年)を中心に創部38年目でたどりついた甲子園。初白星への挑戦は後輩たちに託された。
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これが甲子園か-。7回から点灯したナイターに照らされた札幌日大ナインは相手校歌を聞きながら、泣きじゃくった。先発の小熊は「終わった瞬間は整理がつかなくて」と、ぼうぜん。アルプススタンドへのあいさつで家族や仲間を見つけると、感情があふれた。夢だった聖地のマウンドに立つと、いつも通りのテンポの良い投球ができない。焦りから3連打を浴びて4失点。4回途中でマウンドを島田に譲り「球場の雰囲気が違って、そこに動揺してしまった」と悔しがった。
いきなり4点を追う苦しい展開になっても、主将の菊地は気迫満点に食らいついた。2回1死走者なしで左中間への二塁打。チーム初安打で仲間を鼓舞した。1-7の最終回には先頭で中前打を放ち、さらに二盗でチャンスを広げた。9番帯川の2点適時三塁打につなげた。森本琢朗監督(43)は「最後まで粘り強くやってくれた。よくチームを引っ張ってくれたし、非常にエネルギーのある子」とねぎらった。
菊地中心に指導者にも積極的に提案ができる世代だった。関西入り後、バットの振り込み不足を感じて森本監督に「バッティングセンターに行かせてもらえないか」と要望を出した。昨年日本一に輝いた慶応がアイマスクを着用してイメージトレーニングをしていると知れば、自主的に各自アイマスクを用意して同じく始めた。「トップダウンが少なくなった。そこは今までのチームとは違う」と、うれしそうに指揮官は言う。菊地は自身を「約束を守れないキャプテン」と責めた。「森本先生を日本一の監督にします」と誓い、本気で目指したが、果たせなかった。
3年生の無念は後輩たちが晴らす。胸に「札幌日大」の文字が入る現在のユニホームは、18年4月に81歳で亡くなった浅利徹初代理事長が「学校の名前を広めたい」とこだわったデザイン。森本監督が就任後、大学と同じ「NIHON」の文字に変えようとしたこともあったが、反対された。創部38年目、南北海道大会4度目の決勝で壁を破ってたどり着いた大舞台には、歴史や先人たちの思いが刻まれている。2安打2打点の2年生、帯川は全国を知り「『終盤の日大』と呼ばれるようなチームづくりをしていく」と前を向いた。必ず甲子園に戻って来る。【保坂果那】
○…札幌日大2年生右腕、背番号11の島田が好投した。4回1死一、三塁から2番手で登板。5回2/3を6安打無失点。走者を出しても、直球にスライダーやフォークを織り交ぜ、粘った。「しっかり自分の力を発揮できた。早めから行くぞと言われていたので初回から準備していた。来年もしっかり戻ってきて、勝利投手になれるように。絶対1番を取って戻ってきたい」とエースナンバーを背負う覚悟を見せた。

