<高校野球広島大会:広島工8-3盈進>◇26日◇決勝◇マツダスタジアム

 広島工が盈進を破って20年ぶり5度目の出場を決めた。3連投の辻駒祐太投手(3年)が気迫の3失点完投。広島商の投手として甲子園を経験している沖元茂雄監督(47)は、ライバル校に当時の「広商野球」の精神をつぎ込んで、頂点にたどり着いた。

 最後のアウトを奪った瞬間、辻駒祐のいるマウンドには笑顔の広島工ナインが集まってガッツポーズを繰り返す。三塁側ベンチの沖元監督は目を細めてながめていた。一段落した後、「茂雄コール」の中、胴上げされて宙に舞った。就任して4年目。選手たちの活躍を確信していた。

 沖元監督

 いつ甲子園に行ってもおかしくないチームだった。力はつけているので信じていた。

 先制されても簡単に崩れない。エース辻駒祐は粘りの投球を見せる。3連投の疲労を振り払って、3失点に抑えて最後まで投げきった。春先には右肘痛のため、1カ月近く投げられないときもあった。

 辻駒祐

 投げられなくて悔しかった。その間は走り込みました。そのおかげでバテずに投げられました。

 肉体的にも精神的にもバテない。沖元監督の広島工改革のモットーだった。

 指揮官はかつて広島商の投手として甲子園を経験している。ライバル校を指導するに際し、精神面では「広商野球」を実践した。「合理的な野球も考えたけど、最終的には広商野球に戻っていた」。我慢強く練習をこつこつ続けることで試合で劣勢に立っても我慢できるようになった。肉体面では食事から改革した。練習中に卵ごはん、補助食を導入して栄養面を重視。選手の体格は大きく変わった。「数年間で力を注いできたことの1つ」と指揮官は胸を張る。

 2年前に石田健大投手(現法大)、和田凌太内野手(現巨人育成)と能力ある選手がいながら甲子園出場を逃した。それでも、信念を貫いて改革を続け、監督として初の大舞台に臨む。選手同様、沖元監督は甲子園が楽しみで仕方ない。【中牟田康】

 ◆広島工

 1897年(明30)に広島県職工学校として創立。1968年から現校名となった。生徒数は936人(女子48人)。野球部は37年創部で、部員数155人。甲子園は春5度、夏4度。主なOBに阪神新井貴浩、元ヤクルト高津臣吾、サッカー元日本代表で前J1横浜監督の木村和司らがいる。所在地は広島市南区出汐2の4の75。田口裕校長。◆Vへの足跡◆1回戦3-0福山明王台2回戦14-2福山商3回戦11-9広島国泰寺4回戦11-1呉商準々決勝8-3広島国際学院準決勝13-5尾道決勝8-3盈進