<全国高校野球選手権:仙台育英11-10浦和学院>◇10日◇1回戦

 公式戦21戦無敗だった浦和学院(埼玉)の春夏連覇の夢が、壮絶に散った。センバツ優勝投手の小島和哉投手(2年)が、1回に6失点するなど、9回2死まで182球を投げて11失点で降板。打線が一時は逆転したが、仙台育英(宮城)にサヨナラ負けした。

 2時間59分の激戦は甲子園の悪夢となった。小島は周囲に抱きかかえられながら、三塁側の応援席にあいさつに行った。試合後のお立ち台で震える手で水を受け取っても、涙があふれ飲むことはできない。台から降り、椅子に腰掛ける状態まで追い詰められていた。「自分のせいで負けた。何とか抑えたかった」とおえつを漏らした。

 10-10の同点で迎えた9回1死。左足がつった。体力は限界だった。気温35度、湿度74%の甲子園。マウンドの体感温度は想像以上だった。182球の熱投は疲労に表れた。それでも森士(おさむ)監督(49)に「代わるか?」と聞かれ、首を振った。「自分が壊した試合なので勝たせて下さい」と直訴した。マウンドを降り、3分弱休息をとり、最後までマウンドを守る意思をみせた。だが2死とした直後に左前打されて降板。交代のコールに4万2000人の観客からあふれんばかりの拍手が湧いた。

 無念の降板。ベンチに戻ると人目を気にせず、大粒の涙を流した。マウンドですれ違いざま、2番手の山口瑠偉投手(3年)に「自分のせいですいません」と言った。山口からは「よく頑張った」とたたえられたが、ベンチから見る山口の7球目は、無情にもサヨナラの適時二塁打となった。

 全てが小島らしくなかった。埼玉大会準々決勝(埼玉平成戦)で完全試合を達成した姿はない。1点先制した直後の1回に突然乱れる。1死満塁から死球、四球で連続押し出し。2死としたがさらに押し出し四球で3点を与えた。1回に打者一巡で6失点。埼玉大会で与えた四死球は6試合で14個だったが、この日は9四死球。8回無死満塁の場面は3者連続三振でピンチを切り抜けたが、「全くその時のことを覚えていません」と放心状態だった。森監督は「終始ふらふらの状態だった。代えきれなかった私の責任」と悔やんだ。

 昨夏の甲子園は3回戦の天理戦で救援登板し、3回3失点で敗れた。小島は甲子園に入る前、「昨年の天理戦は悔しい思いをしたので今回は絶対に勝ちたい」と話していた。だが、埼玉大会で6試合3失点の左腕が11失点と崩れ、史上8校目の春夏連覇の夢は散った。【栗田尚樹】