<全国高校野球選手権:前橋育英4-1日大山形>◇21日◇準決勝

 日大山形が前橋育英(群馬)に敗れ、山形県勢初の決勝進出を逃した。相手の堅い守備もあり、6回に4番奥村展征主将(3年)の二塁打から1点を返すのがやっとだった。それでも、奥村を中心に「甲子園ベスト4」の目標は達成。これまでの県勢最高成績の8強を塗り替えた。

 日大山形の熱い夏が終わった。寒河江市出身の荒木準也監督(41)は「勝つことで、山形県人はやれるということを伝えたかった」と目を真っ赤にして言った。日大三(西東京)、作新学院(栃木)、明徳義塾(高知)と優勝経験校をなぎ倒し、県勢初の4強入り。東北勢初の優勝はならなかったが、割れんばかりの拍手が山形の歴史を変えた選手を包み込んだ。

 相手が1枚上だった。1回1死満塁。5番吉岡佑晟内野手(3年)が強烈な打球を放つが、二塁手の好捕で4-6-3の併殺。その裏にはバスターエンドランを決められ、先制点を献上。その後もじわじわと点差を広げられていった。

 「1打席も無駄にできない。主軸が三振をしちゃいけない」。3回2死一、二塁で空振り三振に倒れた4番奥村が、意地を見せる。6回、二塁打で出塁して犠飛で生還した。これが、相手エース高橋光成(2年)から挙げた唯一の得点になった。何が何でも流れを引き寄せる-。奥村はその一心だった。

 滋賀県出身。荒木監督と父伸一さん(45)が、社会人野球のプリンスホテルで同僚だった縁で越境入学した。1年春から試合に出始めた一方で「最初からずっとみんなと仲良しではなかった」。県内出身者が大半を占める仲間と、すぐにはなじめなかったという。

 だが、野球に打ち込む姿勢と優しい心で距離を縮めていった。入学直後から主力ながら、練習量はチーム随一。今夏の山形大会直前には、水戸卓副将(3年)と深夜0時ころまで個人練習に打ち込んだ。1年時には、体調を崩して寝込んでいた水戸に弁当を届けた。割り箸袋に「これ食って元気出せ」と書き込んで。今では誰もが「奥村がいたから今のチームがある」と口をそろえる。

 今年2月、荒木監督はあるDVDを選手に見せた。06年夏、県勢初の8強入りを果たした時の映像だ。泥くさく戦い、歴史を変えた先輩の勇姿。荒木監督は、07年以降の選手に見せたことがなかったが「その時の表情とか必死さを感じてほしかった。そして、奥村を全国の人に知ってもらいたかった」。潜在能力は高いのに、精神面にもろさがあった奥村世代。昨秋も今春県大会も奮わなかったが、奥村を中心に鍛錬を続けてきた結果が結実した。

 奥村は試合後、「自分が大人になった時、『常連校になったな』と言われるようになろうとやってきた。周りから『お前の母校強くなったな』と言われるようなチームを作ってほしい」と感極まった。ユニホームの左肩に刺しゅうされた「Boys

 Be

 Ambisious(青年よ、大志を抱け)」。2013年奥村組は確かな足跡を残し、東北勢の初優勝という大志を後輩たちに託した。【今井恵太】