阪神、日本ハム、メジャーでプレーし、14年ぶりの日本球界復帰を目指す新庄剛志氏(48)の引退後初となる連載「みなさん、夢はあるかい!?」を全5回でお届けします。

インドネシア・バリ島から日刊スポーツを通じ、第1回は自身の本気度を示すメッセージを寄せてくれました。新型コロナウイルスとの闘いのなか、前代未聞の挑戦を決意。プロ野球、夏の高校野球など、新庄流で語り尽くします。【取材・構成=寺尾博和編集委員】

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日本のみなさん、お久しぶりっ! 新庄です。今はインドネシアのバリ島で暮らしています。気温33度。こっちにきて13年がたちました。

おれ、コロナ(新型コロナウイルス)大嫌い。こちらでも、みんなマスクしてます。でもネガティブになると免疫力が低下すると思ってるので、いつも笑顔でいます。

このたびこちらを引き払って、日本に帰ることを決めました。昨年11月インスタにアップしましたが、ここで改めて日刊スポーツ紙上で決意表明します。

「もう1度、プロ野球選手を目指します!」

しばらく体を鍛えていたら、だんだん動きが良くなってきた。ある朝起きた瞬間、たった2秒で「よしっ、プロ野球選手になる」ってひらめいた。

メジャーリーグをみて話していた友達からも「ツーさん(新庄のニックネーム)の解説は面白い。その頭脳をそのままお墓にもってくのはもったいないよ」って言われてるんです。

おれの直感と経験、それと度胸ですかね。すぐにインスタでカムバックするってあげたんです。これから日本のファンに48歳で挑戦する姿をみてほしい。子供たちに勇気を与えたい。

「ただのアホやろ」と言われるのは慣れてます。2000年オフ、阪神からの12億円オファーを蹴って、年俸2200万円で日本を飛び出したときもさんざん言われましたもんね。

さすがのイチロー君でもメジャーで通用しないのでは? と言われた時代です。日本で大した数字も残してないのに、「お前バカか」「日本の恥」って。でも、おれ、だれにも迷惑かけてないよね。

現地では1日も欠かさずに練習してます。まず、プールでジャンプを300回ぐらいします。それからランニング、ウエート、バット振って、またウエートの繰り返しです。

夜はインスタライブでフォロワーに、「いくよーっ!」と号令をかけて、腹筋、背筋を一緒にやる。13年間のブランクも、現役選手に負けないかもというレベルのボディーになっています。ボクシング映画「ロッキー」の世界ですよ。

おれの復帰が実現する可能性は1%かもしれません。本音をいうとマイナス? でも1%あればチャレンジする価値はある。あとの99%を楽しめる強さがあれば、1%を手に入れることもできるかもと思ってるんです。

そこで「%1」(1パーセント)というタイトルの歌を作った。おれが作詞して、日本人アーティストのハーティ君が歌ってます。これを打席に入るときの登場曲にするつもりです。

日本が今どうなっているか、ほとんど知らない。暗いんでしょ。だからあえて問いたい。みなさん、夢はあるかい? 挑戦しない人生はつまらない。おれもトライします。それを楽しみたい。さぁ、“夢”に向かって突き進んでみようじゃないか。

◆新庄剛志(しんじょう・つよし)1972年(昭47)1月28日生まれ、福岡県出身。西日本短大付から89年ドラフト5位で阪神に入団。意外性あふれる打撃と強肩を生かした守備で、規格外の人気を獲得。00年オフFAでメッツ移籍。04年に日本復帰し日本ハムに加入。06年引退。日米通算1714試合、1524安打、225本塁打、816打点、打率2割5分2厘。現役時は181センチ、76キロ。右投げ右打ち。

■新庄氏引退後の歩み

◆バリ島移住 引退翌年の07年からインドネシア・バリ島に移住。ハンモック付きのプールのある豪邸で暮らし、必要に応じて日本を行き来した。

◆デザイナー 07年11月、ゲルマニウムブレスレットのデザインを手掛けた。

◆実業家 08年1月に株式会社レハサフ設立。香水、携帯ストラップのデザインなどを手掛け、環境問題に取り組むと発表。

◆芸術家 09年7月に札幌ドームでエアブラシアート展を開催。

◆馬主 愛馬「タノシンジョイ」を擁して地方競馬に参戦。09年9月の船橋競馬での初戦で勝利を飾った。

◆映画 少年野球を題材にした10年春公開の「僕たちのプレイボール」で、エグゼクティブプロデューサーを務めた。

◆現役復帰宣言 19年11月、インスタグラムで現役復帰を宣言。