今季限りで現役を引退する巨人大竹寛投手(38)は、広島からFA権を行使し、巨人との交渉の席で当時の原沢球団代表兼GMから「ラーメン本」をプレゼントされた。

交渉の場では、電話越しに原辰徳監督の獲得への熱意が伝えられ、心を動かされた。巨人大竹誕生に至った当時の交渉を振り返る。(2013年11月20日)

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大竹の心に染みた。「日本一連覇を達成できるチームを作るために、力を貸してほしい」。1時間半の交渉が半ばに差しかかったころ。交渉場所のスイートルームが静寂に包まれた。原沢球団代表兼GMの携帯電話に耳を傾けると、原監督からの熱い言葉が聞こえてきた。「いろいろ評価していただいた中で原監督からの言葉は印象に残った」と笑みがこぼれた。

名もなき試合を覚えていてくれた。06年3月8日のオープン戦、広島-巨人戦。倉敷マスカットスタジアムでの一戦は底冷えする中で行われた。巨人の選手がベンチでガタガタと震える中で、当時22歳だった大竹は最速150キロを計測。4回1安打無失点と、ねじ伏せた。

大竹 原監督は覚えていて、寒い中で一生懸命に投げる姿に好印象を持っていただいたそうです。言われてすぐに思い出したけど、まさか、その試合をそういう見方で見てもらっていたとは思わなかった。その時は無我夢中だったので。素直にうれしかった。

球宴出場時にあいさつを交わすぐらいしか接点がなかった指揮官の存在が大きくなった瞬間だった。他球団への連絡などもあるため即日表明とはならなかったが、近日中に正式決定する流れだ。「ジャイアンツさんの気持ちは自分の中では伝わった」。