阪神密着コラム「虎になれ!」でおなじみの高原寿夫編集委員は95年のオリックス-ヤクルトの日本シリーズを“イチロー担当”として取材しました。26年ぶりに実現したこの対戦。「高原は見た」として、思い入れとともに語ります。

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「シリーズ男」の様子がぷんぷん漂ってきた。オリックスの宗佑磨だ。旧知のオリックス関係者にたずねたのは昨年だった。「宗って外野手ちゃうの?」。シャープな外野守備の印象があったので三塁を守るのを見て、たずねた。

「いや、宗は横浜隼人時代は内野手ですから。レベルはかなり高いですよ。三塁手としては今のパ・リーグなら一番うまいぐらいじゃないですかね」

そんな答えを意外な思いで聞いたものだ。「ルーキーのときは遊撃手。そこから外野手になって現在の三塁です」。オリックス担当記者の真柴健もそう説明した。若いのにめずらしいと言えばめずらしいプロセスをたどっている。

そして、このシリーズ。宗は初戦から存在感を見せている。2点を追う9回にヤクルト・マクガフから同点適時打を放ち、吉田正尚のサヨナラ打につなげた。2戦目でも安打をマーク、この日も3回に先制適時打と打撃好調だ。

同時に守備でもなかなか目立っている。この日の5回だった。1点リードの守備は2死満塁。ここで3番手バルガスがヤクルト中村悠平に逆転適時打を許す。

このとき宗は外野から三塁への球を落球。さらにそこから二塁を狙った中村を刺すため送球しようとしたときだ。球を引っ掛かけたのか、投げようとして止めたのに手から離してしまったか。外野方向へとんでもない送球をし、3点目を許した。

日本シリーズらしい好ゲームは1点差決着だっただけにこの失点は、結構、大きかったかもしれない。宗は第1戦の2回にもオスナの三ゴロを処理できず、失策を記録している。

95年の日本シリーズ、守備で名を上げたのがオリックスにいた馬場敏史だ。今季まで西武で指導者を務めた馬場はあのシリーズ、特に神宮で横っ跳びでゴロをさばくなど再三の好守を見せた。記者なのに観客のように「おおっ!」と声を上げてしまった記憶がある。

このときの印象があまりにも強かったため、当時の敵将・野村克也は2年後の97年、トレードで馬場を獲得したほどだ。シリーズの大舞台で目立つのは打撃は当然として堅い守備だったりするという例だろう。

この3試合、打撃のプラス面でオリックス・ファンを喜ばせ、守備面のミスで嘆かせた宗。本当の意味で「シリーズ男」になれるか。目が離せない存在だ。(敬称略)