阪神島本浩也投手(29)が、3年ぶりの1軍復帰戦を1回3人斬りの好投で飾った。5点ビハインドの6回に4番手で登板。19年10月11日のクライマックスシリーズ・ファイナルステージ巨人戦の第3戦以来、1028日ぶりの1軍マウンドで、再び輝きを放った。

「マウンドに上がったら、あんまり3年もかかった感じはなかった。でも振り返ってみると長かった。頑張ってきてよかった」

持ち前の投げっぷりのよさを存分に発揮した。先頭中山は外角低めのフォークで空振り三振。山崎伊を右飛に沈め、吉川を外角スライダーで遊ゴロに。14球で締め「どんどんストライクゾーンで勝負しようと思ったので、できたかなと思います」と振り返った。

後輩才木と復活への道を歩んできた。2人はともに20年11月5日に肘のトミー・ジョン手術を受けた。21年は育成契約を結び、リハビリに励んだ。島本は術後から「1年半くらいまで全然投げられない状態だった」という。その中でもよき相談相手として、「今どんな感じ?」「あんまりよくならないな」などと経過を共有し合いながら、前を向いて取り組んだ。才木は「近くにいて一緒に頑張ってきた存在。リハビリはやっぱりしんどいですけど、2人で時にはふざけながら、時には一生懸命やって、気にしすぎず、楽しく気楽に(リハビリを)できました」と感謝する。島本も才木の復活星に刺激をもらい、LINE(ライン)で祝福した。

背番号126から始まり、69、120を経て、今では46を背負う苦労人。「今日からまた、この背番号で活躍できるようにやっていきたいと思います」。19年には中継ぎとしてチーム最多63試合に登板し、4勝0敗、11ホールド、防御率1・67の成績を残した左腕。プロ初登板から106試合黒星なしは、球団2位で継続中。逆転Vを狙うチームにとって、大きな戦力が帰ってきた。【古財稜明】

◆島本浩也(しまもと・ひろや)1993年(平5)2月14日生まれ、奈良県出身。福知山成美から10年育成ドラフト2位で阪神入団。14年オフに支配下登録され、15年に1軍デビュー。19年はチーム最多63試合に登板し4勝1セーブの活躍。20年にトミー・ジョン手術を受け育成契約となり、今年6月21日に支配下に復帰した。プロ初登板から継続中の106試合黒星なしは、桟原将司の116試合に次ぎ球団2位。176センチ、73キロ。左投げ左打ち。

○…島本は球団OBの藤川球児氏に感謝した。同氏が自身のツイッターで「島本帰ってきたー。1軍復帰おめでとうございます」などととツイート。報道陣から伝え聞いた左腕は「手術する前から今までずっといろいろなこと言ってもらったので、感謝しています。治療器具も今借りてて、ずっと使ってます」と明かした。リハビリ期間中には「絶対投げられるようになるから、地道にやっとけ」と連絡をもらい「メンタル面でずっと支えてもらってました」と感慨深げだった。

▽阪神矢野監督(島本について)「久しぶりに1軍にきても、2軍で投げているあいつらしいボールを投げていたし、今後もしっかり1軍で投げられるというか、力になってくれるんじゃないかなという楽しみなピッチングをしてくれた」

【島本復帰までの道のり】

◆フル回転の19年 矢野監督1年目のチームで中継ぎとしてマウンドへ。63試合登板して4勝0敗、11ホールド、防御率1・67の好成績を残した。クライマックスシリーズ・ファイナルステージ巨人戦に2試合登板。このオフに左肘のクリーニング手術を受けた。

◆トミー・ジョン手術 20年はコンディション不良で1軍登板なしに終わり、同年11月に「左肘内側側副靱帯(じんたい)再建術」(通称トミー・ジョン手術)を受けた。

◆育成契約 20年12月8日に育成契約となり背番号が「69」から「120」になった。翌21年はリハビリに専念し、登板機会はなし。

◆本格的始動 今年5月29日の2軍中日戦(甲子園)で2年ぶりの公式戦マウンドを踏む。6月17日、18日の2軍オリックス戦での連投テストも無事クリアし故障者リストから外れた。2軍戦では計14試合に登板し、防御率1・20の成績を残し、アピールを続け3年ぶりの1軍昇格をつかんだ。

阪神ニュース一覧はコチラ>>