年の暮れ、阪神が18年ぶりのセ・リーグ優勝を決めた9月14日の一コマがふと脳裏によみがえった。
岡田彰布監督が胴上げされた直後、守護神の岩崎優も背番号24の縦じまを手に宙を舞う。7月18日に28歳の若さで亡くなった阪神OB横田慎太郎さんのユニホームだ。一方であの夜、もう1着の戦闘服も甲子園に持ち込まれていた舞台裏はあまり知られていない。
背番号42。
通訳勢が持参したカイル・ケラーの“分身”もグラウンド上で心地よく浜風に揺れていた。
来日2年目の右腕は8月中旬、首位を快走するチームを離れ、ひっそり米国に帰国していた。8月5日DeNA戦から10日巨人戦まで5連投とフル回転し、3戦連続ホールドから今季唯一のセーブを記録した直後の「家族の事情」が理由での離脱。もちろんナインは緊急帰国の舞台裏を知っていたから、歓喜の瞬間に助っ人右腕も“参戦”させたかったのだろう。
巨人入団決定後にケラー本人がSNSで明かした通り、実は8月に家族の1人が重い急病にかかっていた。それでも右腕は当時、数日間は状況を公にしないまま連投を続け、最後はセーブまで飾っていた。疲労の色が見え始めていた夏場のブルペン陣を気遣い、帰国時も最初は短期間で再来日するつもりだったそうだ。
そんな人柄だから、優勝時も浜地真澄やジェレミー・ビーズリーらが「僕、持ちます」「自分が持つよ」とケラーのユニホームを手に取ってくれたのだろう。
日本での2年間は決して華やかな思い出ばかりではない。来日1年目の22年は新型コロナウイルス水際対策の影響で来日が3月までズレ込んだ。準備期間の短さも痛手となり、開幕戦から登板2試合連続の大炎上で2軍に降格。それでもファーム本拠地の鳴尾浜球場で懸命に試行錯誤を繰り返して今がある。
2軍降格直後から新球フォークの習得に取り組み始めた姿勢を見て、当時の平田勝男2軍監督(現1軍ヘッドコーチ)が「素晴らしいよ」と感嘆していた姿をよく覚えている。
1軍では「リリーフ会」と称した食事会にも毎回参加。リーダー格でもある先輩の岩崎や岩貞祐太が支払いを済ませる姿に感謝し、東京遠征中のもんじゃ屋では「次は自分が全部出すよ」との宣言を実行したこともあったという。
日本の「野球」をリスペクトし、地道に適応して、今季は27試合登板で1勝0敗、1セーブ、8ホールド、防御率1・71。チームが38年ぶりの日本一を達成した直後には、通訳勢を通して仲間に「おめでとう! 最後まで一緒にいられなかったのは残念だけど、めちゃくちゃうれしいよ!」と喜びを伝えている。
来季構想から外れる形で阪神を退団し、24年は宿敵巨人のユニホームを身にまとう。絆を深めた虎ナインとの再会の場は「伝統の一戦」。興味深い対決となりそうだ。【野球デスク=佐井陽介】



