ソフトバンク王貞治監督(68)が23日、今季限りで辞任することを発表した。日本ハム24回戦(福岡ヤフードーム)の試合後、福岡市内のホテルで緊急の記者会見を開き、表明した。一昨年の胃がん手術に伴う体力的問題と、5位に低迷するチームの成績不振の責任を取る形で決断した。今後も球団に残り、チームの再建をサポートする見込みで「名誉監督」「会長」などが検討されている。王監督の後任は内部昇格を軸に進められ、秋山幸二チーフコーチ(46)が有力候補に挙げられている。

 何度か言葉に詰まった。フラッシュに照らされる目は、14年間の思い出で、潤んでいた。5連敗を喫した日本ハム戦終了から59分後。王監督の緊急記者会見が始まった。笠井オーナー代行は「健康上の問題で断念せざるをえない」と説明したが、事実上の引責辞任だった。

 王監督

 9月に入って、信じられない戦い、14年間の中でも考えられない戦いが続いた。今日もご覧いただいた戦いで、そういうものを変える大きな動きが必要だと。これは大きな転換期。監督交代しなくてはいけない。

 20日の西武戦の試合前、竹内球団常務最高執行責任者(COO)に辞任の意向を伝えた。一昨年、胃の全摘出手術を受け、体力的問題が常にあった。8月14日には食物を詰まらせ、ロッテ戦を休養。「がんの方は医学的には全く問題ない。でも、生きていく上での食べるという生活面でね。選手も監督の様子はよく見てるから」。

 指揮官の健康状態がチームに及ぼす影響は予想以上だった。9月に入り、チームは2位から5位に大失速。球団側は22日夜まで慰留に努めたが、王監督の意志は固かった。この日の午前8時30分に孫オーナーに電話で辞任を申し入れ、了承された。25日都内で孫オーナーと会談し、あらためて直接伝える。

 王監督

 選手を辞めるときも葛藤(かっとう)があった。辞める、いやまだやれる、と。今回もすごく似た心境だった。選手のときは、昭和55年に優勝していれば、次の年もやったと思う。4番バッターとしての職務を果たせていないというのが、かなりの部分を占めていた。

 昨年も球団に引責辞任を申し入れていた。10月3日の高校生ドラフト会議前、孫オーナーと会談。全面支援を確約され、続投を決断した。そして10月10日、クライマックスシリーズ(CS)でロッテに敗れると「来年が最後のつもりでやる」と選手に決意表明した。「普通に戦っていけば、絶対に優勝できる戦力。ただ、発言したことで、選手に何かこう変な重圧を与え、ブレーキをかけてしまった。14年間の中で一番の反省点」。今季の成績不振の要因としてそう悔やんだ。

 87年巨人監督4年目で初優勝したものの、日本シリーズは敗れた。88年の東京ドーム元年に連覇を逃し辞任した。それから7年後の95年に、巨人と別れ福岡でダイエーのユニホームを着た。以来、20年連続Bクラスのチームで、日本一2回、リーグ制覇3回を達成した。06年の第1回国別対抗戦ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では日本代表を率いて、世界一に上り詰めた。04年に球団の身売り騒動が起きた際、巨人の渡辺会長に「巨人に戻るつもりはありません。福岡でユニホームを脱ぎます」と決意を伝えている。これが野球人生、最後のユニホームになる。

 監督職と兼任している副社長、GMの職も離れ、今後は「名誉監督」「会長」など違った肩書で球団運営に携わる見込みだ。「プロ野球に入って50年、いい野球人生でした。1つの道にこれだけどっぷりつかって、心をときめかせて68歳までやれたことは、とても幸せでした」。巨人長嶋監督の勇退から7年、球界を支え続けた「ON」が、ついにグラウンドを去る。【中村泰三】