<ヤクルト3-9横浜>◇26日◇神宮

 日本人初の160キロ台が出た!

 ヤクルト由規投手(20)が、神宮球場の球速表示で日本人最速となる161キロを記録した。5回1死走者なし、横浜の5番スレッジへ投じた5球目の直球で、自身を含む4人がマークした従来の記録158キロを3キロ更新した。変化球を打たれ、7回8安打3失点で敗戦投手となったが、成長著しい3年目は、仙台育英(宮城)から入団当時の日本最速の「公約」を実現。100マイル(約161キロ)右腕の仲間入りを果たした。

 神宮の杜(もり)が揺れた。5回1死走者なし。由規はスレッジをカウント2-2と追い込み、98球目を投じた。センター方向から、白球を後押しするように追い風が吹く。内角低めのボール球の速球に、球場のスピードガンが反応した。どよめきが起きる。バックスクリーンの電光掲示板に、白い数字で「161km」と表示された。午後7時44分。日本人最速記録を自ら更新する、歴史的な瞬間だった。

 由規

 僕の中では三振を取りに行った球でした。(球速が)そこまで出てるという感じはなかったけど、今までにない感じで指にかかってました。素直にうれしいです。自分でもビックリです。

 過去3試合で、同じ神宮球場で日本人最速タイの158キロを計測。大台への期待が高まっていた。立ち上がりから150キロ台を連発。投げるごとにスピードは増していった。初回の3失点が響いて黒星を喫したが、プロ入り初の2ケタ、11三振を奪った。

 日本人の壁をぶち破った20歳の右腕。腕は細く、肩幅も広いとは言えない。とても剛速球を投げそうな体ではない。体幹やバランスを鍛える地道なメニューが、プロ3年目での飛躍を生んだ。入団当時から知る菊地大祐トレーナーは「上半身は柔らかいけど、股(こ)関節が硬い。でも、この3年で下もだいぶ柔らかくなった。もっと柔らかくなれば、もっと速い球を投げられる」と証言する。

 人一倍練習して成長を積んできた。由規は仙台育英時代に「調整が分からなくなるので休ませないでください」と、佐々木順一朗監督を困らせたこともあった。ひた向きな努力で、高校3年時には最速157キロを計測する体になった。家族を喜ばせたい気持ちも成長を後押しした。小4からユニホームを着たが、本当はサッカーがやりたかった。学生時代に野球をしていた父均さん(50)から「好きにしていいけど、興味のないスポーツは見に行かない」と突き放され、しぶしぶ野球を始め、気が付いたら夢中になっていた。中学時代から台湾での国際大会など、ほとんどの試合に駆けつけた均さんは「160キロが出る予感がしたんだよ」と、神宮のスタンドで161キロを見届けた。

 歴史的な瞬間を、ヤンキース、インディアンスなどメジャー球団のスカウトも見ていた。「球速が最大の目的じゃないけど、伸ばせるなら伸ばしたい」。日本が誇るスピードスターとなった由規には無限の可能性が広がっている。【由本裕貴】

 [2010年8月27日8時13分

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