ある人から「21世紀の坂本龍馬を目指してほしい」と言われたことがあった。坂本龍馬は江戸時代という身分制度がガチガチの時代を生きていたが、どの組織にも属さなかったという。その上で、江戸幕府を終わらせるほどの大きな歴史的転換点の中心的役割を果たした。そんな背景を踏まえ、21世紀でも、無所属で、世界をより良くするための大きな大転換の一員になることを目指してほしいという言葉だった。

坂本龍馬の実家は、それなりに裕福だったようだ。それでも無所属で日本中を転々と飛び回りながら、新たな時代を切り開くことができたのは、自前のお金でなんとかするのではなく、たくさんの人の助けを受けることができたから。つまり、21世紀という資本主義絶対的な時代の中で、お金ではない、新しい価値観で生きる人になってほしい、という思いもこの言葉には重なっている。

僕はその言葉を受けて以降、今まで以上にお金に執着しなくなった。それでも、例えば大阪に行く予定ができ、SNSにそのことを投稿すると「大阪で講演会をしてもらえれば、必要経費は出します!」と言ってくれる人が現れたりもする。僕はお金は持っていないかもしれないが、普通の人がお金を払ってしていることを、誰かが好意の手を差し伸べてくれることで、実現できることもある。これが資本主義に代わる新しい時代の生き方だと。僕の生き方を示すことで、多くの人たちの意識を変えることを目指している。

だから僕は、きっと普通ではない死に方をするのだろう。でも、その時は絶対にめざす夢の方角を向いて、前のめりに倒れていたい。そう思って日々生きている。

格闘技を始め、道場に所属をさせてもらっていたが、所属するという意識がマイナスに働き始め、自分から何かをアクションするという概念がどんどんなくなってしまった。気がつけば自分の意思に反して、決まり事だからと意思にふたをして、自分を主張することをおろそかにしていた。

それはJリーガーのと時も同じだった。水戸ホーリーホックに練習生として挑んでいる時は、SNSでの発言や開幕戦での“アビコシート”など、かなり思い切ったことをやっていた。当時はクラウドファンディングが市民権を得ていない中であったが、あるスタッフがやりたいと練習生の僕に相談を持ちかけてきた。僕は自分の実体験の中からアドバイスをし、彼の背中を押した。しかし、返ってきた答えは「NO」だった。当時はクラブ側のそうした活動に対する見方がまだまだ深まっていなかったように思う。当時の水戸ホーリーホックにとっては、僕を受け入れるだけで精いっぱいの挑戦だったのかもしれない。

坂本龍馬のように、新しい価値観を伝え、新たなアスリート像を作りたかった。だから年俸も水戸時代は10円。YSCC横浜時代は120円。年俸をもらわないJリーガーとして、お金に変わる新たな価値観を提供していきたかった。

しかし、これは本当に難しい。組織にいれば、組織のルールがあり、同調圧力がある。YSCC横浜はそこまで圧力はなかったが、組織の一員という責任感が新しい価値観を生む邪魔をし、結局なにも行動に移せなかった。

構想はたくさんあった。試合を後払い方式にして、どれだけ感動したかの「感動対価」プロジェクトをやりたかったが、当時のチームの成績や自分自身が出場しているかどうかも勝手に加味して動けなくなった。今、思えば、感動対価プロジェクトは非常に面白い試みになったと思う。3-0で勝った試合と0-1で負けた試合。もし感動対価として負けた試合に多くのお金が集まったとしたら、それは「結果が全て」という人たちの前提を大きく覆すことになったはず。

それからYSCCのホームタウンである商店街を「背番号通り」プロジェクトとして動きたい思いもあったが、それも構想止まりだった。現地に選手と何度も訪れ、たくさんミーティングもしたが動き出せなかったのも、まだまだ新しい価値観への想いやメッセージが足りなかったからだ。

Jリーガーから格闘家になって、そこでも色々動き出そうとしてはみるものの、やはり所属先があると意識的にどこか甘えてしまい、現状維持を選んでしまう。結果、ワクワクのない日々を過ごすことになる。

そんな状況が嫌で、昨年道場を辞め、フリーになった。そしてそこから、格闘家だけれど格闘家になることを辞め、所属も新たに「YSCC横浜キックボクシング」を立ち上げ、そこでも代表兼選手として動いている。

まだまだ形にはできていないが、自分が本当に示したいことを自らが動いて勝負することで、必ずその光は見えてくる。ワクワクは仕掛けることでしか生まれない。待ちの姿勢でワクワクする人生などあり得ない。どれだけ失敗しようが、それは全て成功の途中であり、例えそれだけ批判を浴びて否定をされても、新しい価値観を生み出すんだという熱量があれば全く気にならない。

僕は来年は早稲田大学を受験する。早稲田大学スポーツ科学部。そこで人間の限界とスポーツの持つ本当の魅力を徹底的に研究したい。アスリートは考えても限界がわからない。思考よりも肉体の方が先にセンサーとして反応する。だからこそ身をもって「47歳(来年)」という年齢で、プロのリングに立ち続けて、なおかつ追い込み続けられる理由を学生と共に研究したい。

それは身をもって実験しなければわからないからだ。僕は死ぬまでにやりたいことリスト的に、生きてる間に全てのことにトライをしようと思う。そこには圧倒的な熱量とその先の未来へのワクワクが大事になる。そしてそのワクワクを仲間にも感じてもらい、日々の人生にも生かしてもらいたい。

死んでからでもいいから達成したい、見たい世界がある。それはお金に代わる新しい価値観の中で、ワクワクしながら生きること。2025年には日本にいる外国人が1000万人になると言われ、10人に1人が外国人となる。僕の娘や息子、その子どもたちの競争相手は、日本人ではなく外国人になる。そうなれば、言語の問題や安い労働賃金など、彼らにとって不利なことが多くなる。

そういう未来も見て、全ての挑戦から新しい価値観を生み出し、多くに仲間と共にまたアンチあふれる世界へと突き進んでいきたいと思う。皆さん、船が大海原へと出るぞ。挑戦ののろしを上げて、自分の未来を切りひらこう。

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。22年2月16日にRISEでプロデビュー。プロ通算2勝1分け2敗。身長175センチ。

元年俸120円Jリーガーで格闘家の安彦考真
元年俸120円Jリーガーで格闘家の安彦考真