プロレス界のレジェンドで1964年東京五輪レスリングヘビー級代表としても活躍したマサ斎藤さんの訃報に、プロレス界やファンから悲しみの声が相次いだ。

 蝶野正洋は17日、ツイッターで「尊敬するマサ斎藤さんの悲報 強豪外国人選手、WCW、nWo…困難な海外渉外、マサさん無くして新日本の成功はなかった」と功績をたたえるとともに、「『世界のマサ斎藤さん』のご冥福をお祈りします」と悼んだ。

 小島聡は「私が海外遠征を終えてからは、解説者としてお世話になりました。いつも辛口でしたが、山本小鉄さんと同様、愛のある叱咤(しった)激励だったと解釈してます。長年、闘病生活を続けながらリングへ上がろうとする姿に勇気づけられていました」としのび、「ご冥福をお祈り致します」と追悼した。

 大のプロレスファンを公言するビビる大木は「巌流島に行ったとき、島の歴史には猪木さんとの対戦が書いてあった」と、名勝負と語りつがれる87年の「巌流島決戦」に触れ、「寂しい」と吐露した。

 虎舞竜の高橋ジョージは「斎藤マサさん、スンゴイいい人だった。1990年に猪木さん、佐々木健介や、長谷、ライガーと一緒にヤバイ時にイラクのバグダッドに1週間行った戦友だった。ご冥福をお祈りします」と惜しんだ。

 漫画家の森田まさのり氏は、自身の作品「ろくでなしBLUES」でマサ斎藤さんをモデルにしたキャラクター「マサさん」のイラストをアップし、「久しぶりに描いてみたら描けたよ、マサさん…。ありがとう、忘れません」と悼んだ。

 マサ斎藤さんは、プロレスを引退した99年ごろにパーキンソン病を発症。懸命のリハビリと闘病生活を長く続けていた。75歳だった。