16年RIZIN無差別級GP覇者ミルコ・クロコップ(44=クロアチア)が2日、脳内出血を理由に電撃的に引退を表明した。

同日に自らのインスタグラムを更新。先月25日の練習中に頭痛に見舞われ、病院での精密検査の結果、脳内から出血が確認されたという。医師の勧告もあって現役引退を決意した。左ハイキックを武器にK-1、PRIDE、RIZINと日本格闘技界をけん引してきた最強ファイターが思わぬ形で現役生活にピリオドを打った。

突然すぎる引退表明だった。2日に自らのインスタグラムを更新したクロコップは「今まで何度もこれが最後だと言い続けながらカムバックしてきたが、これが本当の終わり」とつづった。顔のまひなどの症状はなかったものの「(薬物治療で)3カ月後に回復して練習を続けたとしても、再び頭に衝撃を受けることはできない。これが現状。非常に厳しいことだと受け止めている。今まで支えてくれた方々に感謝したい」とつづった。

クロコップが参戦するRIZINの榊原信行実行委員長は同日にツイッターを通じ、クロコップの病状についての詳細を報告。2月25日、次戦に向けて軽い練習を再開した際、クロコップの体に異変があったという。頭痛が続き、病院で精密検査を受けた結果、脳内血管から微量の出血痕が確認され、医師からの引退勧告もあったという。頭部のダメージは深刻で、同日に母国テレビに生出演したクロコップは数カ月前から病気の兆候を示す首の違和感があったことも明かした。

左ハイキックを武器に90年代からK-1で活躍。00年に入ると総合格闘技ルールにも挑戦し、藤田和之、永田裕志を下して「プロレスハンター」とも呼ばれた。03年以降は総合格闘家としてPRIDEを中心に活躍。ヒョードル(ロシア)、ノゲイラ(ブラジル)と並ぶPRIDEヘビー級3強の1人とされた。先月16日には7年半前にUFCで負けていたネルソン(米国)との再戦を判定で制してリベンジを達成。健在ぶりをアピールしていた直後、重い病に屈することになってしまった。

◆ミルコ・クロコップ 1974年9月10日、クロアチア生まれ。19歳でキックボクシングを開始。96年3月にK-1初参戦し、99年ワールドGP準優勝。03年6月からPRIDEにも本格参戦し、06年無差別級GP制覇。PRIDE消滅を契機にUFCに参戦。11年のUFC137大会でロイ・ネルソンに負け、引退を表明。12年3月に現役復帰し、K-1、IGFなどに参戦後、UFC再参戦。15年11月には肩の負傷を理由に再び引退。16年からRIZINで現役復帰し、無差別級GPで優勝。188センチ、110キロ。