“プロレスリングマスター”武藤敬司(60)が、リング上で燃え尽きた。

メインイベントで、自らラストマッチの相手に指名した新日本プロレスの内藤哲也(40)と対戦。約11年ぶりとなったシングルマッチは、最後の3カウントを大の字で聞いて敗れた。

 

▽武藤敬司の歩み

◆生まれ 1962年(昭37)12月23日、山梨県生まれ。

◆新日本入門 84年に東北柔道専門学校の先輩の助言で21歳で新日本入門。後に「闘魂三銃士」となる蝶野正洋と同日で、橋本真也(故人)は前日だった。

◆デビュー 84年10月5日の蝶野戦でデビュー。同じくデビュー戦の蝶野から8分27秒、逆エビ固めで勝利を収める。

◆海外遠征 85年11月に米フロリダに初の海外遠征出発。翌86年10月に凱旋(がいせん)帰国し、新コスチューム“スペース・ローン・ウルフ”姿をお披露目。88年1月から2度目の海外遠征。89年に代理人のグレート・ムタが初登場し、米WCWでトップヒールレスラーとして一世を風靡(ふうび)。90年4月に帰国し、赤のショートタイツ姿で全盛期を迎える。

◆闘魂三銃士 88年7月にプエルトリコで、蝶野、橋本ともにユニットを結成。91年、初開催となったG1決勝戦で蝶野に敗れて優勝を逃すも、3人でリングに上がり、「1、2、3、ダァーッ!」で締めて時代到来。以後、IWGPやG1を巡って数々の名勝負を演じ、90年代新日本の看板として不動の地位を確立。

◆新日本での主なタイトル 92年にムタがIWGPヘビー級王座初戴冠。95年に橋本を破り、素顔で初の同級王者。同年のG1で初優勝。01年1月に全日本に参戦し、3冠ヘビー級王座獲得。

◆全日本 02年1月に格闘技路線を重視する団体に不信感を抱き、弟分の小島聡、ケンドー・カシンらとともに新日本を電撃退団。同2月に全日本に入団。代表取締役社長に就任。同6月に、選手が急性硬膜下血腫で倒れた事件の責任を取って代表取締役社長を辞任した。13年5月に退団。

◆WRESTLE-1 13年7月に旗揚げ。20年に活動停止。

◆ノア 20年からノアを中心に活動。21年2月にGHCヘビー級王座獲得。21年2月に正式入団。同11月にGHCタッグ王座を獲得し、史上2人目のメジャー3団体のシングル王座とタッグ王座を完全制覇。

◆アクシデント 10年4月に変形性膝関節症による右膝関節内遊離体除去の手術、18年3月には両膝の人工股関節置換術、22年2月には左股関節唇損傷で長期欠場。

◆引退 23年2月21日に、ノア東京ドーム大会の内藤哲也(新日本)戦で引退。

◆サイズ 188センチ、110キロ。

 

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