ブラジル発祥のグレイシー柔術の創始者エリオ・グレイシー氏が29日、死去した。95歳。死因は肺炎との情報がある。同氏は講道館で柔道を学び、普及のために世界武者修行した前田光世の影響を受けて、より実戦色を強めたグレイシー柔術を考案したとされる。“400戦無敗の男”と呼ばれるヒクソン・グレイシー(49)ら多くの息子や孫を柔術家として育て、日本の総合格闘技界に大きな影響を与えた。

 報道などによると、エリオ氏はブラジル国内の病院で亡くなった。肺炎で亡くなったとの情報や、老衰だったとの情報がある。六男ホイスらが参列して死後10時間以内に葬儀が行われ、棺には黒帯などが入れられたが、三男ヒクソン、五男ホイラーら4人の息子は間に合わなかったという。ホイラーは「これまでは健康だったが、95歳だったし、抵抗することなく亡くなった」とコメントした。

 エリオ氏は実戦的な柔道の寝技と関節技に着目し、アレンジを加えて「グレイシー柔術」として体系化した。160センチ、63キロと小柄で非力だったが、51年にはリオデジャネイロで4万人もの観衆の前で日本の柔道家・木村政彦と対戦した。ホイスらの試合のセコンドとしてたびたび来日するなど、日本との縁は深い。雑誌の編集長時代の93年に米国で同氏のセミナーを開いたというK-1主催のFEG谷川イベントプロデューサーは「今日の総合格闘技の礎を築いたのはエリオさん。本当に男としてカッコイイ人生だったと思う」とのコメントを発表した。

 グレイシー一族と戦った日本の選手も同氏の死を悼んだ。三男ヒクソンと2度対戦している高田延彦(高田道場)は「ふと目を閉じればあの日が鮮明によみがえってくる。その一族の象徴でもある偉大なるブラジルの侍が亡くなられたのは信じられない」。ホイスらを破って「グレイシーハンター」と呼ばれた桜庭和志(LAUGHTER7)は「グレイシーの皆さまにはエリオさんの遺志を継いでほしいと思います」とのコメントを発表した。