大相撲の元関脇で西十両11枚目の安美錦(40=伊勢ケ浜)が16日、現役引退を表明した。

名古屋場所2日目に古傷の右膝を痛めて休場し、来場所は幕下への陥落が確実となっていた。アキレス腱(けん)断裂など度重なるケガを乗り越え、関取在位117場所は歴代1位タイ。記録にも記憶にも残る名力士が、22年半の土俵人生に別れを告げた。今後は年寄「安治川」を襲名し、同部屋付きの親方として後進を指導する見通し。後日、記者会見を行う。

   ◇   ◇   ◇

安美錦が伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に引退を伝えたのは14日昼。2人で話し合い、「よくここまで頑張ったな」と言われると、涙がこぼれた。

この日、師匠が発表した後、安美錦が心境を語った。「ケガをして治療して、もう1回、もう1回と思ってきたけど、初めて今後のことを考えた。気持ち的に、初めて出る選択肢以外のことを考えた。勝負師として一線を引く時なのかなと思った」。右膝は前十字靱帯や内側半月板などが断裂しており、本人曰く「ボロボロ」。再出場の見通しが立たず、来場所の幕下陥落が確実になったところで決断した。

故障と向き合いながらの土俵人生だった。「ずっと(右膝の古傷と)付き合ってきた。また、最後におまえにやられたかという思い。いい相棒だよ」と漏らした。

「右膝のケガがなければ大関になっていた」。こんな声をよく聞いた。しかし、安美錦は、こう反論する。「ケガがあったから、ここまでやれたんだ」。ケガをしたことで体調に敏感になり、治療を通じて体の仕組みにも詳しくなった。

最初に右膝を故障した時、医師から「手術を受ければ半年以上かかる」と言われた。そこまで待てない。それなら工夫してやってみようと土俵に立ったところ、相撲が取れた。ケガ直後の本場所で、立ち合いで踏み出す足を左から右に変えた。支える足を変え、故障箇所の負担を軽くする。右足を前に出す形を繰り返し、自分のものにした。稽古で鍛え、戦う術を身につけた。

角界屈指の切れ味を誇る出し投げなど、繰り出した決まり手は「45」。技のデパートと言われた舞の海の34手、史上最多勝利の白鵬の41手さえ上回る。土俵際でもあきらめずに仕掛けるため、物言いがつくことが多く、40代式守伊之助は「安美錦の相撲は裁きたくない」とぼやいた。6度の技能賞など三賞は合計12回。魁皇に並ぶ歴代1位の関取在位117場所目にまでたどりついた。

37歳で左アキレス腱を断裂してからは、引退と背中わせ。家族にも支えられた。2女と1男の父でもある。妻絵莉さんの運転で回った治療先は全国に及び、数え切れない。復帰から1年以上かけて幕内に戻り、17年九州場所で敢闘賞を受賞。NHKのインタビュールームで涙した。「思い残すことはない」と吹っ切れた。今場所前、2歳になったばかりの長男丈太郎くんが電話口で初めて「あみにしき」としゃべった。「言えたから、もういい。全部やったな」と思えたという。

東京にいる家族にはスマホのテレビ電話で引退を伝えた。すると「これでママが疲れたら、運転交代できるね」という娘の声が聞こえてきた。「そうだね、練習しないとね」。笑顔で次の人生に踏み出した。【佐々木一郎】