大相撲元関脇逆鉾の井筒親方(本名福薗好昭=ふくぞの・よしあき)が16日午後9時11分、都内の病院で死去した。58歳だった。死因は膵臓(すいぞう)がんとみられる。長兄の元十両鶴嶺山も含め「井筒3兄弟」と呼ばれた弟の錣山親方(元関脇寺尾)は17日、悲しみをこらえて「よく頑張った」と井筒親方をしのんだ。通夜は24日、告別式は25日に都内の井筒部屋で時津風一門葬として営まれる。

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錣山親方はこの日朝、東京・両国国技館で木戸番を務めた後、兄である井筒親方への思いを語った。「一番上の兄貴と俺と井筒と昨日、3人一緒になったけど、一番上の兄貴と私の気持ちは『よく頑張ったな』ということです」。体調悪化を知って、1カ月もたっていない。詳細は明かさなかったが、沈痛な表情が今場所を休場、入院していた兄の闘病の日々を物語った。

「ちっちゃなころから、けんかばっかりしてた」という。しかし「やっぱり兄弟なんだよね。兄弟3人の自慢は、おやじとおふくろの子どもで生まれてきたこと。井筒は一番最初に両親の元に戻ったと思えば、気持ちも少し楽になる。最期に顔を見れていたのが幸せだった」と話し「井筒は横綱(鶴竜)を育てた。俺らは相撲一家で生まれ、相撲で飯食わしてもらい、相撲で終わっていく。だから、相撲協会に恩返し。井筒ができなかった分も汗をかくしかない」。約5分、真っ赤な目で声を振り絞った。

午後過ぎには井筒部屋前で、再び報道陣の前に立った。「井筒は戦ってきました。最後は家族だけでゆっくり見送らせてください。だから、取材、撮影はここまでにしてください」。鶴竜が休場中でコメントを出せないことなどを説明。5度、6度も「お願いします」と大きな声で、遺族に代わって頭を下げた。

この日はNHKの大相撲中継で解説を務め「逆鉾」も論じた。資料映像を見て「相撲は天才。すごく尊敬していた。父親譲りのもろ差しですが、右を差して左を巻き替えた父と違い、最初から両方入る相撲が多かった」と誇らしげだった。

なお横綱鶴竜ら井筒部屋の力士3人、床山1人は、鏡山部屋の一時預かりとなることがこの日、決まった。鏡山親方(元関脇多賀竜)は井筒部屋が所属する時津風一門の理事のためで、日本相撲協会が両国国技館で緊急理事会を開いて承認した。

▽元逆鉾の井筒親方と29度対戦した八角理事長(元横綱北勝海) 突然の訃報に接し、ただただ驚いております。まだ50代と若く、さぞ無念のことであったかと思います。生前の功績をしのび、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

▽芝田山広報部長(元横綱大乃国) 本当に驚き。1期先輩にあたるけど同じ53年入門。前も顔を見せたのに、こんなに早く病状が進むなんて…。残念ですね。(力士として)もろ差しからの寄りが武器だった。

▽朝日山親方(元関脇琴錦) 私があの方のおかげで強くなったのは間違いない。幕下のころ、体の作り方を教えていただいた。背の低い力士はどうすればいいのか。肩幅を広げるしかないと。そのためのトレーニングを教えてもらい、貴ノ浪みたいな長身力士にも上手をとられなくなった。

▽井筒親方との偶然の出会いが相撲界に入るきっかけだった玉鷲 もちろん恩人でもあるけど、いつも会うと(本名のムンフオリギルにちなみ)オギちゃん、オギちゃんと呼んでくれた。うれしかった。(通夜などで)最後会いに行きたい。