大相撲名古屋場所(7月9日初日、ドルフィンズアリーナ)で、再十両昇進が決定している紫雷(しでん、31=木瀬)が14日、さいたま市にある母校の埼玉栄高で“異例”の化粧まわし贈呈式に臨んだ。一般的に贈呈式の化粧まわしは、完成間もない新品が渡されるが、今回は昨年初場所前に完成していたもの。すでに1年半近く、紫雷本人の手元で保管されていた。新十両として臨む予定だった昨年初場所を、違法賭博に関与して休場。その後は再十両昇進を果たせず、幕下で8場所過ごした。陥落から8場所目、東幕下筆頭だった5月の夏場所で4勝3敗と勝ち越し、来場所の再十両を決めていた。

14年春場所の初土俵から8年近くかけて新十両に昇進したが、念願だった十両の土俵には1度も立てず、後悔の思いを抱えて幕下に陥落後の1年半近くを過ごしてきた。「自業自得ですが、8年近くかかって(新十両に)上がったよりも、この1年半は長く感じました。周りの方に本当に迷惑をかけてしまった。応援してくれる方に応えたいという思いは、今回の方が大きい」と、しみじみと語った。

違法賭博への関与によって、日本相撲協会から受けた処分は「けん責」だったが、師匠の木瀬親方(元前頭肥後ノ海)の判断で、昨年初場所は休場した。ただ、その間に食事がのどを通らず、約1カ月で175キロあった体は「140キロまで落ちてからは、体重を見なくなった」と、35キロ以上も激減。この日、披露された化粧まわしも「最初は見ることができなかった」と、自身の軽率な行動を悔い、精神的にふさぎ込んでいたという。

稽古をすることもできなかったが、ちゃんこ番の手伝いなどの仕事を命じられ、少しずつ気力を取り戻した。そして、意を決して木瀬部屋内で保管されていた化粧まわしを初めて目にし「次に見る時は着ける時」と、自らに言い聞かせた。「もう1回(十両に)上がらないとカッコがつかない。どれだけ時間がかかろうと、動けるうちに絶対に上がる」。稽古に精進するようになった。

それでも簡単に十両には復帰できず、東幕下筆頭だった昨年九州場所は、3勝3敗から七番相撲で敗れて負け越し。勝ち越していれば再十両が確実というチャンスを逃した。「迷った揚げ句、中途半端な立ち合いをして一気に持って行かれた。完敗。しんどかった」。試練は続いたが、再び東幕下筆頭で迎えた夏場所は五番相撲で早々に再十両を確実にした。

贈呈式に同席した埼玉栄高相撲部の山田道紀監督は「(化粧まわしが)お蔵入りになるかなと思っていた。上がれないのがパターンなので。たしかに不祥事を起こしましたが、彼は、もう1度、ふんどしを締め直して頑張った」とたたえた。主将を務めた同高時代を振り返り、同監督は「怒られても腐らず、辛抱強い。個性の強いメンバーをキャプテンとしてまとめてくれた」と、人間性は当時から高く評価していた。

化粧まわしの製作を中止することもできるタイミングで不祥事が発覚したが、同高の町田弦校長は「化粧まわしは彼が頑張って証し。化粧まわしを見て、糧にしてほしかった」と、中止は考えなかったという。紫雷は「十両になると給料が出る。高校時代、関取の先輩たちが、お米を贈ってくれて『かっこいいな』『送る人になりたい』と思った。だから、自分も後輩にお米を贈りたい。小さいことだけど、恩返しできるのが楽しみ」と、うれしそうに話した。

名古屋場所は1年半遅れで、ようやく十両力士として土俵に立つ。「周りの人たちのおかげで自分は相撲を続けられた。『腐らずすごい』と言われたこともあったけど、周りの人のおかげ。自分は何一つ頑張っていない。支えてくれた人たちのためにも、15日間、精いっぱい頑張っていきたい」。1年半前に贈られた化粧まわし前に、再十両として臨んだ異例の贈呈式で、紫雷は心からの決意表明を行った。