初日から休場していた新大関霧島(27=陸奥)が、4日目から出場することを決めた。初日の9日に「右肋骨(ろっこつ)骨挫傷で約3週間の安静加療を要する見込み」との診断書を提出。一時は眠れないほどの激しい背中の痛みで、体をほとんど動かすこともできていなかった。それがこの日朝、名古屋市の部屋で5日ぶりに行った稽古では、四股、すり足などの基礎運動に加え、ぶつかり稽古までこなした。

これには稽古後、報道陣に対応した師匠の陸奥親方(元大関霧島)も「ものすごい回復力」と驚いた。さらに同親方は「出たいという本人の意思を尊重した。『出たら休めないぞ』と言ったら『大丈夫』とのことだった。(大関とりの)関脇3人を倒すぐらいの勢いを見せてほしい」と話した。

2日目の前日10日は朝稽古に参加できず、その間に治療に行っていた。この時点で陸奥親方は「明日(3日目の朝)、様子を見てダメだったら(今場所は)無理でしょう」と話していた。それが、この日は左右への軽快な動きを伴うすり足などを行い、立ち合いの確認は10度、ぶつかり稽古までこなせるほど回復していた。首から肩、背中にかけてテーピングを施していたとはいえ、同親方は「動きとしては悪くない」と評価。無理をさせない方針だったが「日に日に良くなっているのは間違いない。ビックリした」という体の変化で、出場を認めることになった。

さらに「休んでいる場合じゃないと思ったのだと思う。『まわしをつけて動けているので取りたい。取らせてください』と言っていた」と、新大関としての責任感、出場意欲を再確認し、途中出場を決めた。霧島は稽古後、ほどなく治療に出かけ、電話で師匠に途中出場を訴えた。

治療から戻った霧島は「久しぶりにまわしをつけてやってみたけど、問題ないんじゃないかなと思う。1日1番、思い切って自分の相撲を取りたい」と、意気込みを語った。全休せず、途中出場という選択をしたことについては「番付は関係なく、応援してくれている皆さんに対して、あまり休んでいたらよくないから」と、ファンや後援者に新大関の勇姿を見せたい思いからだったと説明。再休場の前例は少なく、出る以上は千秋楽まで無事に、取り切ることが求められる状況だが「ケガしないようにして相撲を取らないと」と、勝ち越しとともに、残る12日間、取り切ることも目標に掲げていた。