偉業の裏には“魔法の言葉”があった。

大相撲春場所で、110年ぶり2人目の新入幕優勝を果たした前頭尊富士(24=伊勢ケ浜)が、千秋楽から一夜明けた25日、大阪市内で会見。14日目の前頭朝乃山戦で右足の靱帯(じんたい)を損傷してからの出来事を、詳細に明かした。1度は千秋楽の出場をあきらめたが、尊敬する同部屋の兄弟子、横綱照ノ富士に言葉を懸けられてから、歩けるようになったと告白。奇跡的な体験が偉業の価値を高めた。

   ◇   ◇   ◇

会見場に現れた尊富士は右足を引きずっていた。患部の状態は、熱戦を制した前日と変わっていない。相撲を取ることなど、とてもできそうにない雰囲気。それでも、千秋楽で好調の豪ノ山に真っ向勝負で勝ち、110年ぶりの新入幕優勝を決めた。青森県出身では大関貴ノ浪以来、27年ぶりの幕内優勝。報道陣の要求で、津軽弁で「さっぱどしたじゃ(スッキリした)」と喜びを表現し、無邪気な笑顔を見せた。

ただ、14日目と千秋楽の両取組の間は、さまざまな思い、出来事があったと明かした。照ノ富士に背中を押されて千秋楽の出場を決めたことは、優勝直後にも明かしていた。この日はさらに「不思議」と、今も理由不明な奇跡的な体験を告白した。

尊富士 正直(千秋楽出場は)あきらめていたら急に、横綱(照ノ富士)が来て「どうだ?」と聞かれたので「この状況はきついです。歩けないです」と。そこから横綱の話を聞いた瞬間に、自分で歩けるようになった。人の肩を借りないと歩けなかったのに。急にスイッチが入った。第2の自分がいるような感じだった。

照ノ富士の言葉は熱かった。その言葉が、痛み止め薬よりも効果を発揮した。

照ノ富士 お前ならやれる。記録はいいから、お前は記憶に残せ。勝ち負けじゃない。最後まで出ることが大事なんだ。負けてもいいから。それはしょうがない。でも、このチャンスはもう戻ってこない。オレもそういう経験がある。

「110年ぶり」「史上最速10場所目」「ちょんまげ初」などを含む数々の記録よりも、見る人の心を揺さぶる記憶に残る力士になってほしかった。それは照ノ富士自身が序二段まで番付を下げる以前、最初の大関だった17年の同じ春場所。場所中の大けがをおして出場した当時新横綱の稀勢の里の人気はすさまじく、照ノ富士は雰囲気にのまれた格好で千秋楽に逆転優勝を許していた。応援される側になってほしくて、記憶に残る戦いを求めた。

会見の最後には「記録より記憶」と色紙に書き、写真撮影に応じた。110年ぶりの快挙に、新たな伝説が加わった。【高田文太】