大相撲の第64代横綱を務めた米国ハワイ出身の曙太郎さんが心不全で亡くなっていたことが11日、分かった。54歳だった。同期入門だった若貴兄弟としのぎを削り、2人より先に横綱昇進。かたき役になり膝の故障になきながら、長身を生かした突き押し相撲で11回の幕内優勝を遂げた。現役引退後は総合格闘家としても活躍。近年は闘病生活を送っていたが、今月に入り体調が急変していた。

曙さんの思い出を、元相撲担当記者が記している。2020年5月の日刊スポーツ紙面連載「マイメモリーズ」から、曙さんのご冥福をお祈りし、一部を、ニッカンスポーツ・コムに再掲する。

 

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その声が自分に向けられたものだとは、すぐには分からなかった。もう1度「オイッ!」という低い声が飛び、鋭い眼光は相撲担当になってまだ2日目の自分を見ている。03年10月31日。朝稽古の取材で東関部屋を訪れて、一礼だけして後方に座った直後、曙親方(元横綱)に呼ばれた。怒気をはらんだ口調だった。

 

前日、部屋の幕内高見盛が出稽古先で横綱朝青龍につり上げられ、バックドロップのようにたたきつけられて右肩を負傷した。様子を確認しに来た自分が気に食わないのかもしれない。テレビでしか知らなかった巨体に恐る恐る近づく中で、いろいろと考えた。首に下がる記者証をにらみつける親方の目が怖かった。

 

「お前、あいさつはどうした?」。そう言われて慌てて名乗ろうとした。すると「オレじゃない!」と語気が強まった。「師匠にだ。部屋に入ってきたらまず師匠にあいさつするのが礼儀だろ。それが日本人の心ってもんじゃないのか」。

 

分かる人も多いだろうが、稽古中は意外と静かな間が多い。体同士、時に頭と頭がぶつかり合う鈍い音が響き、呼吸の乱れもよく分かる。そんな空間で、相撲のすの字も分からないペーペーの担当記者ができることは、ひたすら存在を消すこと。物音を立てず、邪魔にならないよう隅っこで見ていようと思っていた。稽古を遮るあいさつすら失礼になると思い込んでいた。

 

その静寂を壊してまで「礼儀」を説いてくれた曙親方の思いを、今も感じることができる。慌てて師匠の東関親方(元関脇高見山)に頭を下げると、にこりと笑ってくれた。曙親方に戻り、一から名乗ると「それを忘れないようにな」と優しい声で言われた。ハワイ出身の親方に教わった「日本人の心」は、その後の記者生活の土台になった。

【今村健人】

(2020年5月20日付)