大相撲の第64代横綱を務めた米国ハワイ出身の曙太郎(旧名チャド・ローウェン)さんが、今月上旬、都内の病院で心不全のため亡くなっていたことが11日、日本相撲協会から発表された。54歳だった。曙さんとは現役時代、互いに幕下だったころから計27度対戦し、通算3勝24敗だった佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)がこの日、都内で当時を振り返りつつ、故人をしのんだ。

佐渡ケ嶽親方は、幕下時代に続き、2度目の対戦となった90年名古屋場所での十両土俵で、初めて勝った一番を鮮明に覚えていた。「とにかく腕が伸びてくる。もろ手できたところをはね上げて、下手出し投げで大きな体をゴロンと転がしたのは、よく覚えている」と、懐かしそうに話した。ただ、通算成績では大きく負け越し「まわしを取っても戦車のような圧力で出てくる。私も体は大きい方ですが、組んでも上から覆いかぶさってくる感じ。とにかく強かった」と、振り返った。

また、曙さんの真面目な性格を物語るエピソードも明かした。幕下時代の曙さんが、当時都内に構えていた佐渡ケ嶽部屋に、出稽古に来た時のこと。「先代師匠(元横綱琴桜)がタクシー代として帰り際に渡した1万円を、横綱になってもお守りとして持って感謝し続けてくれたんですよね。それを先代も本当に喜んでいて。恩を忘れない律義な人でした」。人柄も尊敬する横綱だったという。

曙さんと若乃花、貴乃花らが、しのぎを削った時代は、空前の相撲ブームが起きた。「すごい面々でした。会場も盛り上がっていたし、華やかでしたよね。そんな時代に、一緒に相撲を取ることができたのはよかったです」。現在は広報部長に就任し、かつての盛り上がりに近づけるよう、尽力することを誓っていた。

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