もう20年近く前になるが、はっきり覚えている。
03年11月5日の昼すぎ、博多で携帯電話が鳴った。
九州場所の前で、ゆったりした空気が流れていた。
バトル担当の先輩記者にいきなり「いま、曙さんはどこにいる?」と聞かれた。
「曙親方ですか? 今日は朝稽古の取材にいってないですが、部屋にいるんじゃないかと思います」
「ちょっと親方がいるかどうか、確認できる?」
「はい、わかりました」
記者は入社4年目で、担当がバトルから相撲にかわって約1年半。
その先輩記者からの電話は珍しいものだった。
理由は説明されなかったが、とりあえずお昼ご飯を後回しにして部屋に向かった。
すでに午後1時を過ぎており、部屋はひっそりとしていた。
若い衆が出てきたので「親方、います?」と聞いたが「いや。いないですね。どこにいったか、わからないです。ただ今日は高砂一門のパーティーがあるので、夕方にホテルにいくとは思いますよ」。
そのまま先輩記者に伝えた。
「わかった。夕方にパーティー会場にいけるか?」。
「はあ、まあ、いけますけど。何かありました?」。
答えが返ってくる期待はあまりしてなかったが、一応、聞いてみた。
「曙さんがK-1に転向する」
あまりの衝撃に絶句した。
先輩記者はさらに続けた。
「大みそか。お前にしかいってない。誰にもいうな」
大みそかまで2カ月もない。
とりあえず、先輩記者に頼まれた曙親方の略歴や、格闘技に転向した元横綱たちという原稿を準備した。
そして夕方、高砂一門のパーティー会場に行った。
2階の会場内は非公開だった。
記者は1人だった。
会場外のソファに座って、待った。
曙親方は、襟なしの黒いスーツのような服装で会場入りした。
わずか20分程度で会場を出てきた。
話しかけたが、完全に無視された。
写真をとるひまもなかった。
何よりもいつもと違うピリピリしたムードに気圧された。
先輩記者に、消え入るような声で電話した。
「何も聞けませんでした。写真もとれませんでした」
先輩記者は「話しかけたんだな。声をかけたんだな。それでいい。曙さんは飛行機で東京に来る。あとはいつも通りに過ごしてくれ」
よくわからなかったが、怒られなくて、ほっとした。
夜は相撲担当の後輩記者と2人でもつ鍋を食べた。
食事の最中に先輩記者から、相撲用語の使い方について、電話で質問が入る。
まだSNSはなかった。
そのたびに席を外して、こそこそ電話した。
たまにパソコンを開いて、原稿を確認した。
「なんかやってますよね」
「何書いてるんですか?」
「寂しいなあ。僕には何もいってくれないんですね」
後輩記者には申し訳なかったが、「うるさい」のひと言で会話を終わらせた。
午後9時ごろ、先輩記者から電話が来た。
「頼んだ原稿は準備できてるか? 合図するまで、絶対に出すな。合図をしたら、すぐに全部出せ」
宿泊先のホテルでパソコンを開いて、電話を待った。
午後10時を過ぎても鳴らない。
午後11時を過ぎても鳴らない。
「今日はもうないのか」
あきらめかけた深夜0時前、電話が来た。
「ゴー」
そのひと言で、一気に原稿を出した。
「曙、K-1転向」
一面のニュースになった。
翌朝、朝青龍に「ホントなの、ホント」としつこく聞かれたことを覚えている。
その日の午後、曙さんはボブ・サップと2人でK-1転向会見に出席した。
あとで聞けば、曙さんは、1紙のスクープになることにかなり難色を示したという。
折れた理由は、相撲界へのけじめとなった福岡のパーティー会場で、日刊の記者に目撃されて、話しかけられたことだったという。
曙さんは「あの、細いヤツか!」と激怒したと聞かされた。
先輩記者は「まあ、お前のせいになってるな」と笑っていた。
後日、プロレス転向後の曙さんを取材する時があった。
内心ひやひやしていたが「お、久しぶりだな」と穏やかな笑顔で迎えられた。
博多の夜について、責められることは一切なかった。【元相撲担当=益田一弘】