今月15日に肺炎のため69歳で死去し、元大関若嶋津で元二所ノ関親方の日高六男(ひだか・むつお)さんの葬儀が24日、千葉・市川市内で営まれた。

約300人が参列し、元大関琴風の琴風浩一さん(68)が弔辞を読み上げた。全文は以下の通り。

親方の突然の訃報に深い悲しみの気持ちでいっぱいです。親方とのさまざまな場面がよみがえり、その日は朝まで一睡もできませんでした。

2月半ば、大阪への出発を前に会いに行った時には握手をして笑顔で別れただけに、このような形での再会は悲しすぎます。

親方、昔から「二所の荒稽古」という言葉があったけれど、あの時代の激しい稽古、火花が散るような切磋琢磨(せっさたくま)の日々は、ただの勝負を越えて、お互いを高め合う同志のようでした。

当時の親方は、大関若嶋津関は、組んでよし、離れてよし、スピード感あふれる相撲で、私にとっては嫌な対戦相手でした。同門といえどライバル。当時は仲良く酒を飲んだり、食事を楽しむことなんてなかった。

やがて引退、親方となり互いに自分の部屋を持ち、力士たちの育成に力を注いだ日々。現役時代とは違う苦労が次から次へと押し寄せて、本当に苦しい時もありました。そんな中でも、互いに子を持つ親同士として、家族ぐるみの付き合いへと広がっていきました。

旅行や食事会など、忘れられない楽しい思い出がたくさんあります。この温かく太い絆はこれからも切れることなく続いていきます。

だから親方、これは大切なおかみさんのこと、心配しないでいいから。どこまでも皆で全力で支えていくからどうか安心してください。

14年前、巡業先で私が大ケガをして全身まひとなり、首から下すべての機能が奪われた時、親方はそっと寄り添い、静かに背中を押してくれました。私が退職を考え、心が揺れた時、涙を流しながら、引き留めてくれたその思いがあったから、あんなに苦しいリハビリにも私は頑張れたんだと思います。

そしてその後、親方自身もまた大きなケガをしました。しかし、次から次へと目の前に立ちはだかる大きな壁をすべて乗り越え、見事に仕事にも復帰。その姿は言葉以上の説得力で、部屋の力士たちをはじめ、周りのみんなにも、倒れてももう一度立てるということを教えてくれました。

親方はなんでも話せる、なんでも相談できる、私の大切な親友でした。簡単な言葉では説明のつかない、共に戦い抜いてきたからこそ、特別な思いが間違いなくありました。

親方、覚えていますか。歌なんてあまり歌わないのに、自らマイクを握り、四季の歌を歌ってくれたこと。決してうまいとは言えなかったけれど、その優しい気持ちは大ケガの後遺症に苦しむ私の心には深く染みました。またいつか、四季の歌を一緒に歌いたいです。

私は神様が許す限り、もう少しこちらの世界で頑張ってみようと思っています。

親方の笑顔が今も目の前に浮かんできます。またいつか会いましょう。そして、大好きなお酒を飲みながら思い出話をしましょう。その時を楽しみにしています。

親方、ひとまずさようなら。そして、お疲れさまでした。