名付けて「ナシゴレン・ウエスタン」。インドネシアの焼き飯を冠した惹句(じゃっく)はマカロニ・ウエスタンに掛けている。

セルジオ・レオーネ監督の「荒野の用心棒」が65年に日本公開された時、映画評論家の淀川長治さんが「マカロニ-」と呼んだことから始まったイタリア製西部劇の呼称が懐かしい。

5月18日公開のインドネシア映画「マルリナの明日」には、確かにそんな匂いがある。室内はやや暗めの照明、生活感たっぷりの小道具…一方で、ぎらぎらに脂ぎったマカロニ-に比べると、高温多湿の土地柄にもかかわらず乾いた描写が印象的だ。

荒野の一軒家で暮らす未亡人のマルリナが、押しかけた強盗団に知恵と度胸で反撃する物語。途中、行き会った友人の妊婦のエピソードをうまく絡めて「出産」で大団円となる筋立てがよくできている。

ジャカルタ生まれのモーリー・スリヤ監督は、女性ならではの視点で、長らく染みついた母国の男尊女卑を浮き彫りにする。予定調和に収まらない展開は飽きさせない。エンタメのツボをしっかり押さえ、楽しませてくれる。

西部劇の銃に代わるのが刀剣で、これがスパンスパンとよく切れる。盗賊の首がごろりと転がるシーンもあるのだが、いい意味で劇画的な演出がほどこされ、目を背けるというよりは引き込まれる。

マルリナの家には亡き夫のミイラが鎮座しているのだが、そんな古来の独特の風習をコミカルに見せてしまうところがスリヤ監督の懐の深さだ。悲しいはずの儀式を笑いに変えた伊丹十三監督の「お葬式」(84年)を思い出す。

監督は「アジアを舞台に西部劇のスタイルで撮りたい」との発想で取り掛かったそうだが、バロック調の絵画や日本の時代劇も参考にしたといい、まずは構図が面白い。遠景でとらえた土手の映像。豆粒大の動きを追えば、やがてそれが主要人物で物語の進行に絡んでくる。映画ならではの大画面の意義を改めて実感させる。

室内の薄暗がりも時間を追うにしたがって目が慣れたかのように、細部の輪郭が見えてくる。きっと照明の加減がうまいのだろう。遠景も暗がりもじっくり見せる固定カメラが効果を生んでいる。

主演のマーシャ・ティモシーは資料によれば40歳だが、年齢より若く見える。インドネシアの映画はオランダ領だった30年代に最初の隆盛を迎えたそうで、歴史は長い。今作もそんな厚みに加え、ティモシーを始め生き生きとしたキャストがしっかり個性を立てている。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)