昨年末にWOWOWで放送された連続ドラマ「坂の途中の家」(角田光代原作)は、幼い娘を殺してしまった母親の裁判を題材に、育児を巡る人間関係のデリケートな部分を浮き彫りにした。父親として育児に関わった経験のある人なら、たとえ応分に引き受けたつもりがあっても、このドラマを見て、多少とも後ろめたい思いをかみしめたのではないだろうか。それほど子育てママの心はデリケートで、不用意な言動に傷つきやすいのだ。

「82年生まれ、キム・ジヨン」(10月9日公開)も出産を機に退職した女性が主人公だ。どちらかと言えば人間関係に重きを置いた「坂の-」とは対照的に女性の心中にフォーカスしてその機微を映し出す。端からは見えないその「闘い」は懸命でせつない。いつの間にか性別を超えて感情移入し、ウルッとさせられた。

82年4月1日生まれのキム・ジヨン。首都ソウルで中流以上の生活水準にある彼女は、はた目には幸せそうに見える。大学の先輩で心優しいデヒョンと結婚。2歳になる娘の育児のために勤めていた会社は退社した。

今では子育てと家事に追われ、夫の実家への気遣いも欠かさない。一方で、仕事に未練が無いと言ったらウソになる。就職難の韓国でやっと席を得た広告会社。やり手の女性チーム長にも認められていたからだ。

やがて、良き妻として暮らしていた彼女に異変が起こる。突如、実母や、夫と共通の知人の人格となって「本音」を吐露し、その憑依(ひょうい)現象が収まるとその間の記憶はまったくないのだ。

夫はその異変を妻には隠し、精神科医に相談しながら遠回しに通院を勧めるのだが…。

ジヨン役は「トガニ 幼き瞳の告発」などで知られるチョン・ユミ。大きな心の振幅を抑えた表情の中に込め、じわりと染みる好演だ。夫デヒョンは「密偵」のコン・ユ。その優しいまなざしが、それでも救えない妻の苦悩の深さを印象づける。若手のキム・ドヨン監督は感情をあらわにする場面を極力減らし、どちらかといえば引き算の演出で繊細な心の動きをにじませる。

韓国でベストセラーとなったチョ・ナムジュさんの原作は医師のカルテの体裁をとって書きすすめられている。抑制の効いた演出は原作のテイストに倣ったものなのだろう。

夫婦それぞれの実家、それぞれの同僚たち…その関係性やセリフのあるある感も半端ない。原作が日本でも異例のベストセラーとなったのもうなずける。結末は決して暗くないので、若いご夫婦にお勧めしたい作品だ。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)