あの人の教えがあったからこそ今がある。北海道にゆかりある著名人たちの、転機となった師との出会いや言葉に焦点をあてた「私の恩師」。温かく、前向きな言葉が大病を乗り越える強さをくれた。タレント原千晶(41=帯広市出身)は過去2度、がんを患った。不安な闘病生活で思い出したのは、小学4年時の担任の先生から贈られたメッセージ。人生を「トンネル」に例え、出口の先にある光あふれる希望へ突き進む力をもらい後押しされた。今、その力を同じ経験をする女性に向けて届けている。

 横浜六ツ川西小4年時の担任、森光美佐子先生はお母さんという感じですごく快活な元気の良い先生でした。すごく慕っていたけど、4年生の夏休みに福岡の小倉に転校することになってしまって。夏休みの最中に引っ越したから、なかなか友達ができず。言葉が違うと言われて、「嫌い」を「すかん」と言ってる意味もわからなかった。2学期の途中で甲状腺の病気、バセドー病になってしまって3カ月くらい入院したんです。子どもがなる病気じゃないんですが、ストレスがたまって発症したのかもしれません。学校になじめないなか、完全に出はなをくじかれた。人生の最初の挫折です。

 私が入院したというのが横浜に知れ渡って、クラスメートがひとりひとりメッセージを書いた文集を森光先生が作って送ってくれたんです。今でも大事に取ってあります。先生が私に言ってくれた言葉があって。「今はとってもつらい状況かもしれない。真っ暗なトンネルにいる状況も出口は絶対にあるから。また明るい原さんに戻れるから頑張って」と。生まれて初めて感銘を受けた、最初の言葉。退院して、時間はかかったけど徐々に友達ができて。今でも集まる一生涯の友達ができた。良い出会いになりました。

 1度テレビに一緒に出てくれたことがあるんです。あの言葉に励まされたと言ったら、大きな額に言葉を書いてくれた。すごくきれいな字で達筆。今も部屋に飾ってあります。5年前に子宮がんを経験した時、テレビを見て知った先生が連絡をくれました。同時期に結婚もして、大きなお花を贈ってくれて「女性にとって子宮を失うことは本当につらいこと。でも女の人生、子どもを産むことだけじゃない」と言われて、号泣した。人生の局面で寄り添ってぐっと来る言葉を投げかけてくれる先生が私の恩師です。

 婦人科がん患者の集まりで、11年7月に「よつばの会」を立ち上げました。みんなつらい思いして手術や抗がん剤治療を受けていても前向きな人もいるけど悩んでる人もいる。私もそうだったからわかる。視野が狭くなるんです。それこそトンネルみたいに真っ暗闇。そんな時に先生の言葉で励ましたりしています。へへへ。【取材・構成=保坂果那】

 森光美佐子さん(76) 千晶さんとはほんの短い期間だったけどとても印象に残っています。自分の意見がしっかり言える子でした。テレビに出ているのを見て千晶さん!? と驚いた。頑張ってるなーって。17年前、24時間テレビに一緒に出たのは良い思い出です。すてきな旦那様と結婚して本当に良かった。トンネルなんかもうとっくに抜けて羽ばたいてるわね。

 ◆原千晶(はら・ちあき)1974年(昭49)4月27日生まれ、帯広市出身。94年、20歳の時にクラリオンガールに選ばれ、芸能界デビュー。05年に子宮頸(けい)がんを患い、09年に再発。10年1月に全摘手術を受け、抗がん剤治療を受けた。同年10月、番組制作会社プロデューサーと結婚。現在、TBS系「ひるおび!」の毎週火曜レギュラー出演中。