心に残る名曲やヒット曲の誕生秘話や知られざるエピソードを紹介する連載「歌っていいな」の第2回は、ミリオンヒットを記録したKinKi Kidsのデビュー曲「硝子の少年」です。今回は、作詞を手掛けた松本隆さんと、作曲を手掛けた山下達郎さんが、この曲に込めたある思いが明かされます。

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97年7月21日に発売された「硝子の少年」は既にトップアイドルとなっていたKinKi Kidsの満を持したデビュー曲だった。作詞家松本隆さんは、ジャニーズ事務所から「10代の少年をテーマにした曲を作ってほしい」と制作を依頼された。

松本さんは1970年(昭45)代初頭、4人組ロックバンド「はっぴいえんど」(細野晴臣、大滝詠一、鈴木茂)で活躍し、作詞家に転向。日本レコード大賞曲「ルビーの指環」(寺尾聰)「赤いスイートピー」(松田聖子)「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)などの大ヒット曲を連発。“シティー・ポップ”という新しいジャンルを築いた。ジャニーズ事務所のアーティストでは、近藤真彦の「スニーカーぶるーす」を手掛けるなど、強い信頼関係が出来上がっていた。

作曲は山下達郎さんで、すぐに曲作りの打ち合わせに入った。「ポップスの王道に戻った曲を作ろう」。これが2人の一致した意見だった。松本さんは「今のポップスは全体的に、デジタル化されてサバサバしている。昔のビートルズ、エルビス・プレスリーのように、詞に情感があって、胸にキュンとくる、きれいなメロディーが重なる歌に戻ってみようと思ったんです」という。

山下さんも「(ジャニーズ事務所の先輩である)フォーリーブスの時代を生きたママたちと、今のKinKiの時代を生きる娘たちが、時間を超えてつながるものを表現したかった」と、70年代のポップスに戻った作曲を意識していた。

松本さんは過去のインタビューで「僕の特許は、“風”“街”“摩天楼”“空色”“透明”“ガラス越し”……。言葉の持つ音楽性、やわらかい手触りの言葉が好き」、「少年時代へのノスタルジーが僕には強い。純粋で無垢(むく)なものに対する憧れです。自分の中にあるそうした感性で作品を作ってみたい」と語っている。

「硝子の少年」は、そうした松本さんのまさに原点のような作品だった。先に出来上がった山下さんの原曲は、素晴らしい出来だった。KinKiの2人に純粋さ、素直さを感じていた松本さんは、「この子たちなら、全世代の人たちに向けて、人間が今忘れかけている愛や夢、希望を、歌で表現してくれる」と確信した。

「援助交際」が横行する時代を憂えて松本さんは、「指に光る指環 そんな小さな宝石で 未来ごと売り渡す君が哀しい」と歌詞につづった。KinKiが歌うこのメッセージを、少女たちが真摯(し)に受け止める願いを込めた。傷つきやすい少年、少女の思いを「ぼくの心はひび割れたビー玉さ」に託した。アイドルという言葉にはある種の軽い響きがあるが、KinKiの2人は、松本さんも驚く重厚な説得力で歌い上げた。

大ヒットに松本さんは「ファッションは変化しても、人間はお金よりも大切な、純粋な心を本質的に持っているんだなと感じましたね。若者から中高年まで幅広い人が共感し、カラオケで歌ってくれることがうれしい」と言う。「硝子の少年」は、KinKiに熱狂する少女たちが大人になり、母になっても、忘れ得ぬ1曲になることだろう。【特別取材班】

この記事は97年12月1日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。連載「歌っていいな」は毎週日曜日に配信します。