NHK紅白歌合戦に50年連続出場の記録をもつ、歌手五木ひろし(74)。昨年、現在の芸名でのデビュー50周年を迎え、今月は自身で設立したレーベルの20周年特別企画としてJ-POPのカバー盤をリリースした。何と223枚目のアルバム。ギネス級の活動の裏には、日本の歌謡界の第一人者として、先人らへのリスペクトを忘れてはならぬ、という強い思いがある。好きで仕方がないという音楽について聞いてみた。【竹村章】

★ファルセット

「DREAM-五木ひろしJ-POPを唄う-」は今月16日に発売された。ピアノを清塚信也、ギターを村治佳織が担当。全曲J-POPのカバー作は初めてだ。評判も上々で、早くもテレビ番組での3人の共演が決まった。

「タイトルはDREAMですが、最初はフォーシーズンにしようかと。日本の季節感を大事に選曲しました。J-POPはファルセットを多用するでしょ。だから、ささやくように歌い、ファルセットも使って。ただ、70代にとってはものすごいチャレンジ。できたのでやりましたけど」

今作のきっかけは清塚との出会いだった。3年前に番組で「糸」を歌唱。清塚のピアノタッチにほれ込み、すぐに「一緒にやりましょう」と申し出たという。

「うまい人はいくらでもいる。彼には、フィーリングというか歌心がある。弾いているけど歌っている」。五木は過去、今は亡きギタリスト木村好夫さんとアルバムを作り共演したが、同じ感覚だったという。「木村さんが歌うギターだった。ギターが歌えるから、歌を聴いて弾ける。その瞬間しかない音楽が生まれる。あ、うんの呼吸ですかね。清塚さんにも同じものを感じました」。

★あえて同時録音

その1年後には別の番組で再共演。今度は「少年時代」を歌った。同じ頃、コンサートの際に村治に声をかける。「彼女の履歴を知った上で歌謡曲を弾いてもらいました。その時、清塚さんと3人だとおもしろいと思いつきました」。

歌と演奏を別々にとりいいところをだけを抜き取る多重録音の全盛時代に、あえて同時録音にこだわった。スタジオだが、観客がいるかのような雰囲気を出すためだ。

「2人とも音楽的に歌える才能がありますから。僕がどう歌うか、表現するかをイメージして弾いてくれた。おそらく、2人ともリハーサルをしてきたのでしょうが、考えてきたのと違う歌い方を僕がしても、応じてくれて。強めに歌えば同じようにタッチが強くなるし、引くと合わせるように優しくなる。自分でいうのも気が引けますが、達人がそろうと、こうなるのかなという感じでした」

★全ジャンル網羅

レコード会社の資料には、“全曲J-POPカバーは初”の文言が躍る。演歌の人というイメージなのだろう。だが、五木ほどあらゆるジャンルの曲を歌ってきた歌手はいない。76年「北酒場」は岡林信康、78年「まだ乾かない油絵に」は小椋佳、79年「蝉時雨」は宇崎竜童、89年「暖簾」は永井龍雲の楽曲だった。そもそも、デビュー曲「よこはま・たそがれ」は「演歌を山手線の中に持ってきた歌手と言われたんです。当時、演歌は望郷歌でふるさとを思う、土の匂いや郷愁を歌っていた。でも、大都会を持ってきたのが僕のデビュー曲ということなんです」。

★こぶし大事だが

とはいえ、日本の音楽業界が、ポップスと演歌を別のジャンルとして扱ってきたのも事実。今でも、オリコンチャートは別ものだし、日本レコード大賞も一時は演歌・歌謡曲部門を作ったこともあった。

「演歌・歌謡曲が全盛だった時代もありましたし、僕も演歌・歌謡曲を歌い続け、スポットライトも浴びました。新人を演歌歌手とすることで、アドバンテージがつくこともあった。僕は演歌は否定しませんが、演歌歌手と名乗ったことはない。強いていうなら、流行歌手かな。流行歌ですから、演歌ジャンルが時代を作らないのなら、それも時代の流れなのでしょう」

五木は演歌を否定するものでもない。実際、BS朝日「人生、歌がある」(土曜午後7時)では司会を務め、後輩の歌手にエール送り、演歌・歌謡曲を継承していく思いも強い。ただ、演歌への漫然とした誤解があると感じている。例えば、演歌特有のこぶし。説明すれば、楽譜には表記されない微妙な節回しで、うなり上げるような歌い方が特徴、となる。

「こぶしは味付けで大事ですが、節をまたいで崩して歌ったり、こぶしを回して歌うのが演歌というのは大まちがい。演歌ほど、言葉を正しく伝えないといけないんです。日本の美しい情緒あふれる日本語をうまく伝えないと。三橋美智也さんは崩して歌っていないし、見事に小節の中でこぶしを回している。いつのまにか、小節をまたいで、こぶしを回すのが演歌だと思わせてしまった。違った方向に演歌が行きつつありますね」

音楽の原点は唱歌と童謡だとも指摘する。「藤山一郎さんを代表するように、しっかりと歌えるのが基本。唱歌、童謡を譜面通りに拍子に合わせて歌えないと。だから、若い歌手には先人たちの曲を聴いて勉強してと言っています」。

5月に開催する東京・明治座公演は「五木ひろし劇場」だ。いつもなら、芝居の後に歌謡ショーというのが定番だが、今回は音楽のみの3部構成。第1部では昭和の5大作曲家、遠藤実、吉田正、船村徹、服部良一、古賀政男に五木が扮(ふん)し若手に歌唱指導するという。

「音楽は歴史。歌謡曲に出会い歌手になり、伝えたいことは山ほどある。でも、好きな音楽を続けられたのは先人がいたからこそ、今の自分がある。そのリスペクトは忘れてはいけない。『青い山脈』で戦後のつらい時期を乗り越えた歴史を後世にも伝えたい。歌謡曲の父と言われた古賀メロディーは本当に素晴らしい。芝居だって、長谷川伸という素晴らしい原作者がいたので、その芝居を継承せねばとやっている。若い人に勉強してもらいたいし、知ってもらいたいのに、僕ができる精いっぱいのことをやろうとしています」

★先人リスペクト

シングルは170枚そこそこなのに、アルバムは223枚。先人らをリスペクトし、カバーしてきたからこその実績だ。

50年間キーが変わらないという五木だが、今月、74歳となった。当然、引退の2文字もよぎるという。

「僕がやらないと誰がやるんだと。応えられることはすべてやる。70歳を過ぎてできることに感謝しているし、需要と供給のバランスが成り立つのはありがたい。僕が頑張ることで、世の中の70代も元気に頑張れると思っています。ただ、どこまで自分が頑張っていけるんだろうと思うのも事実。僕は僕で、五木ひろしを傷つけたくないと思っている。自分が作り上げてきた五木ひろし像をどう壊さず、きれいに幕を閉じるか。模索中だし、僕なりの大きな目標です」

もちろん、一昨年でのNHK紅白歌合戦の終了についても聞いた。卒業ではないということは、以前から語っており、胸の内も迷いも葛藤も聞いたが、記すことはやめた。それは、51回目の出場があると思うからだ。

◆五木(いつき)ひろし

本名・松山数夫。1948年(昭23)3月14日、福井県美浜町生まれ。松山まさる、一条英一、三谷謙と芸名を変更。71年に五木ひろしの芸名で「よこはま・たそがれ」を発表、大ヒットし一躍スター歌手に。73年「夜空」と84年「長良川艶歌」で日本レコード大賞の大賞を受賞。NHK紅白歌合戦は50回連続出場。04年に芸術選奨文部科学大臣賞、07年に紫綬褒章、18年に旭日小綬章を受章。88年に女優和由布子と結婚し、2男1女は独立。

◆五木ひろし劇場(東京・明治座、5月13~22日)

第1部は不滅のメロディー昭和の5大作曲家を歌う、第2部は五木プレゼンツのゲストオンステージ、第3部は五木のビッグショーの3部構成。ゲストは市川由紀乃、朝花美穂、辰巳ゆうと、新浜レオン、ベイビーブー。

※2022年3月27日本紙掲載

 
 
五木ひろし(中央)とアルバムで共演した村治佳織(左)、清塚信也
五木ひろし(中央)とアルバムで共演した村治佳織(左)、清塚信也