脚本家橋田寿賀子さんが急性リンパ腫のため4日に亡くなった。95歳だった。

19年までスペシャルで「渡る世間は鬼ばかり」(TBS)を書き続けた現役のレジェンドだった。取材会があるたびに「来年は死んでるかもしれないから」と明るい滑舌でマシンガントークを聞かせてくれた。同業者のヒットドラマには「悔しいから見ていない」と闘争心をあらわにし、90歳になっても枠を得て書こうとするプロの本能がとにかくかっこよかった。

特に15年の橋田賞授賞式は印象に残る。

複数選ばれた橋田賞の制作者が一堂に会したが、豪華脚本陣の競演が話題になったTBS「おやじの背中」のプロデューサーに「なぜ私のところに話が来なかったのか。悔しくて1本も見ていません」(※橋田氏は非選考委員)。朝ドラ「花子とアン」の制作統括にも「私に仕事が来ない枠は見る気がしないの。朝ドラは書かせていただけないですよね?」と売り込み。橋田氏の鼻息にたじたじの敏腕テレビマンたちは降壇後、「光栄なこと」と一様に笑顔だった。

書きたいテーマが尽きず、それをテレビドラマとして表現する脚本家のプライドが強烈にあった。そんな橋田さんにも「書けない」ことはあり、19年の取材会では悔しさが思わず顔を出している。

たくさんの嫁姑の形を描いてきた中で、いちばんの肝である「渡鬼」の泉ピン子とえなりかずきの嫁姑問題を描いていないのはなぜか、という質問が出た時だった。力不足で先送りしているのではないのだと伝えずにいられない橋田さんが「書けないのよ~、いろいろ事情があって!」と、困った笑顔で回答し、当時話題になった。

「作家として、いちばん書きたいところを飛ばしているんですよ。言ってもいいの?」。関係者がリアクションに困っていると、「俳優さん同士が仲悪かったら書けないじゃなーい」と、いろいろオープンだ。

もともと、場の空気に間が空くと、自由に話を脱線させて笑わせる気配りの人。カジュアルに飛び出した衝撃発言に取材陣が一瞬黙ると、「本当に書きにくいことなんですよ。かわいそうですよ、ライターなんて。うふふ」。橋田氏でもそんなことがあるのかと、何事も言い訳せずに第一線を走り続けてきたキャリアに勇気をもらった。最期はピン子さんが看取ったという。お元気なら、いつかどんな「幸楽」の嫁姑問題を書いたことだろうと思う。

「一人っ子だったので、家族のドラマを書いてきた」という橋田さん。一昨年からスマホを勉強し、「仕事がなくなったらユーチューブもやってみたい」と話していた。昭和、平成、令和と、日本の家族を描いてきた橋田ワールド。楽しいドラマの数々をありがとうございました。

【梅田恵子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能記者コラム「梅ちゃんねる」)