「想い出の渚」などのヒットで知られるグループサウンズ、ザ・ワイルドワンズのリーダー、加瀬邦彦(かせ・くにひこ)さんが、東京・港区の自宅で亡くなっていたことが21日、分かった。74歳だった。この日朝に家族が見つけた。警視庁によると事件性はなく、自殺とみられる。葬儀・告別式、喪主などは未定。

 訃報は午後9時半に明らかになった。加瀬さんの自宅前で、所属事務所関係者が「亡くなったのは事実。詳細は明日説明します」と取材陣に明かした。その後、死亡確認の状況が判明した。

 加瀬さんは94年に食道がんの手術を受けた。術後は抗がん剤投与を拒み、気功で自然治癒力を上げる呼吸法を実践するなど、健康には人一倍気を使っていた。だが、昨夏ごろから、体調不良で自宅療養中と伝えられていた。オーナーを務める東京・銀座のライブハウス「ケネディハウス」での月1回公演出演もキャンセルしていた。

 死去前日の20日には、ワイルドワンズの名付け親・加山雄三(78)やグループのドラム植田芳暁(67)、ベース島英二(67)らが「加山雄三&ハイパーランチャーズ」として同所でライブを実施。関係者によると、3人ともその翌日に届いた悲報に大きなショックを受けているという。ギター鳥塚しげき(68)も、言葉を失っていたという。

 加瀬さんは慶応高1年の時に加山と出会い、ギターを教わって音楽の道に進んだ。慶大進学後にバンドを結成。「ザ・スパイダース」「寺内タケシとブルージーンズ」を経て、66年に「ザ・ワイルドワンズ」を結成した。きっかけは、同年6月にビートルズの日本武道館公演を客席から見たこと。「彼らのように、いつか自分で作詞作曲した歌を歌いたい」と心に決めた。“和製ビートルズ”とも呼ばれる快活なサウンドで、デビュー曲「想い出の渚」はヒットチャート1位を獲得した。「青空のある限り」「愛するアニタ」「幸せのドアー」などのヒット曲も生み出した。

 71年に解散したが、81年に再結成。その後はディナーショーやライブなどで年間80~100ステージをこなすなど精力的に活動。ステージでは、「日本の明るい未来のために頑張ろう」と同年代にエールを送り続けた。ももいろクローバーZとも共演。世代を超えた共感も呼んでいた。

 作曲家としても活躍した。沢田研二(66)の「危険なふたり」「TOKIO」、アン・ルイスの「女はそれを我慢できない」などを手掛けた。

 06年、グループ結成40周年の節目に初の武道館公演を行った際は目に涙を浮かべていたが、くしくもこの日は、憧れだったビートルズの元メンバー、ポール・マッカートニーの日本公演初日だった。

 ◆加瀬邦彦(かせ・くにひこ)1941年(昭16)3月6日、東京生まれ。慶大卒業後の66年7月、ザ・ワイルドワンズを結成。慶大の先輩、加山雄三が「野性児」という意味を込めて命名した。同年11月、「想い出の渚」でデビュー。71年解散。81年に「加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ」として再結成され、09年には沢田研二と「ジュリーwithザ・ワイルドワンズ」として活動した。加瀬さんのほか、現メンバーは鳥塚しげき(ギター)植田芳暁(ドラム)島英二(ベース)。12年までに、4人全員が、がんを克服したとし、加瀬さんは冗談で「ワイルドガンズ」と話していた。同年4月には、グループで、ももいろクローバーZの公演にも参加した。