昨秋、紫綬褒章を受章した宮川大助(67)花子(62)が15日、大阪市内で、受章記念イベント「ベスト マイ ワイフ」(4月1日、大阪・なんばグランド花月)を発表し、昨年11月の豊明殿での伝達式で、天皇陛下からのお言葉を受け、一時は考えていた引退を撤回したと明かした。

 「豊明殿で、陛下が(立ち止まって)体調は? とお聞きになられて…」と、花子が言えば、大助は「陛下のお言葉の中に『国民のために』という言葉があって、ますます、まだまだ、ぶっ倒れるまで漫才をやろうと思いましたね」と、口にした。

 会見には、伝達式に臨んだと日と同じ衣装で出席。花子は淡いピンク色を基調とした和装、大助はモーニング姿だった。

 花子の胃がん、大助の脳出血など、数々の闘病を乗り越えてきた夫妻だが、昨年3月、大助が腰部脊柱管狭窄(きょうさく)症の手術。何度か感染症を患い、いったん復帰後に再手術。以後は、下半身にしびれが残るようになり、漫才の引き際へ思いをめぐらせていた。

 大助は「20年の東京五輪までは頑張って、そこで漫才を辞めて、(東日本大震災で東北などを回り)防災の大切さを知ったので、国内を防災(講演)で回ろうかと考えていた」と話したが、そんな気持ちも今回の受章と、陛下のお言葉で「ぶっ倒れるまで」に翻意した。

 また、客席からの視線にも変化を感じ取った。大助によると「嫁姑の話とか、バアーッとたたみかけていくとこで、前はウケてたのに、何か違う。夫婦の優しさとか、ぬくもりを(入れたネタを)お客さんは求めてるんやと。驚きました」と言う。

 大助の滑舌を逆手にとって、花子がほえ、大助がつっこむ“婦唱夫随”の形式を定着させ、夫婦漫才の第一人者へと成長。この過程を、花子をスパルタ指導でけん引した大助は「猿が数珠をつなぎながら、なんとか橋を渡りきった。アスリートのように全力で走ってきた」と振り返る。

 そんな夫妻が「ぬくもりを伝えるわび、さび。年齢に合った漫才スタイル」を求めるようになり、現役続行へ自信も取り戻した。

 奈良県生駒市の自宅には大きな畑を持ち、畑仕事が趣味だった大助は、昨年の2回目の手術後「歩くのすらおっくう」になっていたが、リハビリへの意欲も強くしている。

 「今年1年かけて、後半ぐらいには体力を戻したい」と約束。花子は「まあ、大助君、医者から止められてるんは『レスリングと重量挙げ』ぐらいやから。そんなんせえへんから、大丈夫」とつっこんで、笑わせた。

 花子自身も「受章して、前みたいにワーッとは叫ばれへん。私のお言葉も変わりました」とニヤリ。「休みの日は、パジャマ脱がない主義やったんですけど、今は家でパジャマ脱がなあかん。近所の人に『おめでとう』言うて来られたら、そのたびに着替えないかんから」と、ぼやきつつも、大助・花子としての完全復活を約束していた。

 受章記念イベントには大助・花子のほか、桂文珍、川上じゅん、矢野・兵動、和牛、藤崎マーケットらが出演する。