上方落語協会が天満天神繁昌亭に次ぐ第2の拠点とする「神戸新開地・喜楽館」が11日、新開地商店街にオープンし、名誉館長に就いた同協会の前会長、6代桂文枝(74)は、4年越しの悲願成就に「残りの人生を注ぎ込みたい」と、感無量の様子で語った。

 約260人を数えるようになった協会員は、入門5年を経ても高座に上がれない者がいるほどに増え、文枝にとって、上方第2の演芸場は悲願だった。

 4年前、新開地商店街のすし店から、活性化協力の手紙をもらい、同所への進出を立案。しかし、協会の中で意見が割れ、果てにはこの間、自身に2度の不倫騒動が起こったこともあって、文枝は「4年前から紆余(うよ)曲折ありましたが、どうしても拠点がほしいという思いがありました」と振り返った。

 昨年になって、喜楽館開館のメドが立ったことから今年5月末で、03年から歴代最長8期15年務めた上方落語協会会長職を降り、選挙で最多得票を得た笑福亭仁智(65)に7代目会長職を委ねた。

 「本当は前回(一昨年の改選時)で、会長を退こうと思っていましたが、どうしても、この新開地に劇場をと思い、もう1期やろうと。こうして(完成して)来てみると、すごくいい劇場で…」と言うと、感極まった表情も見せた。

 かつてはチャプリンも訪れた町として知られ、映画館や劇場、演芸場でにぎわい「東の浅草、西の新開地」と呼ばれた同商店街もにぎわいを失っており、「なんとしても新開地が昔のようになれば、近づければと思います」と語った。

 喜楽館をめぐっては、同商店街で理髪店を営む高四代初代館長とともに開設へ奔走し「6代文枝と四代さんであわせて、“じゅうだい(10代)”案件に取り組んできました」と、だじゃれもまじえて苦闘の日々を思い起こした。

 くしくも、この日は、敬愛していた故桂歌丸さん(享年81)のお別れの会と重なった。文枝は9日の通夜に駆けつけており「たまたま、歌丸師匠のお別れの会と重なり、歌丸師匠が『ここを拠点にがんばれよ』と…そういうことで…」と口にすると、再び涙ぐむしぐさを見せた。

 06年、大阪の天神橋筋商店街に戦後初の上方定席「天満天神繁昌亭」を開き、その際は、戦後の上方落語を復興させた四天王の1人、故桂米朝さんに高座上へ「楽」の字を揮毫(きごう)してもらったが、今回、喜楽館の高座上には、自らが記した「喜」の字を掲げた。

 「僕自身、もっと上へという意味と、みんながますます上に伸びていき、笑顔になるように、下の『口』の字を(笑ったときの)口元のようにイメージして書いた」と、字体の意図を説明した。

 真新しい舞台を見やり「お客様にも、存分に笑っていただければこんなにうれしいことはない。なんとしても昔の繁栄に少しでも近づけるように頑張りたい」と話していた。