映画「マルサの女」やNHK大河ドラマ「葵(あおい) 徳川三代」、マキノ雅彦名義で映画監督も務めた俳優津川雅彦(つがわ・まさひこ)さん(本名・加藤雅彦=かとう・まさひこ)が4日に心不全で亡くなっていたことが7日、分かった。78歳。今年4月27日に妻で女優朝丘雪路さんを82歳で亡くしたばかりだった。葬儀は近親者で済ませた。喪主は俳優で長女の真由子(まゆこ)さん。

 昨秋に肺炎を患い肺を痛めていた津川さんは、最近は鼻に酸素吸入用チューブをつけて生活していた。歩くときに力が入らず、支えられて歩く姿が頻繁に見かけられた。

 津川さん最後の公の場となったのは5月20日、妻朝丘さんが亡くなったことについての会見だった。「すべてに感謝です」という言葉からは、強い愛情が見えた。酸素吸入用チューブをつけ、座ったままで会見を行った津川さん。体調について聞かれると「大丈夫じゃないね。こんなかっこうして大丈夫だって言ったらうそになる」と答えた。それでも10分間の会見で、涙をにじませながら何度も亡き妻への感謝を口にした。

 祖父が「日本映画の父」と呼ばれた牧野省三監督、叔父はマキノ雅弘監督という芸能一家に生まれた。11年に亡くなった兄長門裕之さんは名子役で知られ、津川さんも5歳でスクリーンデビューを果たした。56年公開の映画「狂った果実」出演を機に役者の道へ本格的に進み、二枚目俳優として人気を博した。

 誰もが知る俳優になったが、演技派としての地位を確立するまでは苦労の連続だった。作品より、恋愛報道で名前が出ることも多かった。しかし、41歳で出演した映画「マノン」(81年)でブルーリボン賞助演男優賞を受賞すると、映画への出演が増えていった。

 伊丹十三監督との出会いも大きかった。「お葬式」「タンポポ」「マルサの女」シリーズ、「あげまん」など、伊丹作品の常連になった津川さんは後に「伊丹監督に根性を教えられました。セリフを覚えるのではなく、どれだけ肝に入れるのかを教えられました。身が細る思いってあれです」と振り返っている。

 歴史上の人物から、二枚目、悪役まで、幅広い役で存在感を示した。60歳でNHK大河「葵 徳川三代」で主演した時、もっと早く主役が回ってきても良かったのでは、と聞かれ「自分を知っていますから」と謙虚だった。

 夢、意志を貫く強い気持ちも人一倍だった。「マキノ雅彦」の名前で監督を務めることが決まり、いったんは企画が頓挫したが、13年後に初監督映画「寝ずの番」(06年)を送り出した。活動分野だけでなく芝居への熱、歯に衣(きぬ)着せぬ物言い、軽妙なトーク、さまざまな顔を見せてくれたスターだった。

 ◆津川雅彦(つがわ・まさひこ)1940年(昭15)1月2日、京都府生まれ。父俳優沢村国太郎、母は女優マキノ智子、兄は俳優長門裕之という芸能一家に生まれる。子役から俳優の道へ進み、56年の映画「狂った果実」で人気を博す。「マルサの女」「ミンボーの女」など、伊丹十三監督作品にも数多く出演した。14年、旭日小綬章を受章した。73年、女優朝丘雪路さんと結婚。