舞踊家の花柳幻舟さんが亡くなった。77歳だった。若い人にはなじみのない人かも知れないけれど、1970年代から90年代にかけて、何かと話題を呼んだ人だった。

映画やドラマにも出ていた彼女を有名にしたのは、80年に国立劇場で、日本舞踊の最大流派「花柳流」の家元花柳寿輔さんに切りつけ、負傷させた事件だろう。有罪判決を受け、栃木刑務所で服役した。その時からよく取材した。裁判も傍聴し、出所した時も刑務所まで駆けつけた。取材熱心と思われたのか、何かイベントをすると呼ばれたし、舞台公演を前にして山形の合宿所にも行ったことがある。

しかし、いつからか疎遠となり、07年に年賀状をもらったのが最後だった。「お元気ですか」と手書きで書かれ、「大海に 消えたかと 見せかけて、また 浮かび上がる 幻舟(まぼろしのふね)」という歌も添えられていた。地方回りの大衆劇団で生まれ育ち、学校にも満足に通えなかった。00年から放送大学で学び、弁護士を目指したが、禁固刑を受けた者は司法試験を受けられないことを知り、断念した。

日ごろの言動は「過激」だったけれど、私の娘が生まれた時に、すぐに花を贈ってくれた「優しさ」もあった。同じようにお祝いを贈ってもらった人に劇作家のつかこうへいさんがいる。2人に共通するのは、幻舟さんは大衆劇団にいたことから小さい頃に差別され、つかさんも在日韓国人として差別された経験を持っている。そして、幻舟さんは言動が過激だったが、つかさんの芝居は過激なせりふで満ちていた。しかし、2人ともに気遣いもある人でもあった。

亡くなったというニュースに、12年前の年賀状に書かれた電話番号にかけたが、もう使われていなかった。警察発表では「住所不詳」になっていたという。晩年の彼女のホームページを見ると、今年1月に更新されていたが、相変わらず「過激な言葉」があふれていた。ある意味で初心を貫き、過激な姿で押し通した一生だったのかもしれない。【林尚之】