1983年(昭58)。萩原健一さんの大麻不法所持事件を、連日取材した。当時は33歳。その行動は予測不能だった。

取り調べは当時目黒にあった厚生省麻薬取締部で行われたが、そこには留置場が無かったため、取り調べの度に身柄は警視庁との間を行き来した。ある日の移動時、麻薬取締部の敷地内を移動していた黒塗り乗用車の後ろの窓から突然萩原さんが半身を乗り出した。「おれは何にも話していないからな!」。それだけ言うと車の中に引き戻された。

信じられない光景だった。どうやら入手経路などについては口をつぐんでいることをマスコミを通じて伝えたかったようだ。

勾留延長手続きの際にスエット姿に腰縄、手錠姿の萩原さんが垣間見えたこともあった。息をのんだ。容疑者の人権に配慮が行き届いた現在では、許されない光景かもしれないが、それは映画の一場面のようだった。罪状、モラルを超えた存在感があった。良くも悪しくも「役者」だった。

2年後、萩原さんの主演映画「カポネ大いに泣く」の取材をするため、東京・調布のにっかつ撮影所にあったスタッフルームを訪ねた。当時、舞台あいさつでのトリッキーな言動が話題になっていた沢田研二の新聞記事をはさんでスタッフと話していると、背後から「やっぱりヘンですか。大丈夫ですかね」と妙にていねいな口調で割ってはいる人がいた。映画会社の人かと思ったら萩原さんだった。

かつてのライバルを心配していたのだろうが、すっと「一般人」の中に入って違和感のない変身ぶりに驚かされた。

歌でも映画でもドラマでも他にない輝きを放つ人だったが、何にもまして自在に変身する役者だったのだと思う。【相原斎】