来月5日に“ロックの聖地”の東京・新宿ロフトでフリーアナウンサー古舘伊知郎(64)が、トークライブ「戯言(ざれごと)」を開く。今年4月に母校である立教大学の客員教授に就任して、講座「現代社会における言葉の持つ意味」を担当している。言葉の力とは、古舘が今、若者たちへ伝えたいこととは-。青春時代をひもときながら、聞く者の魂を揺さぶる、そのマシンガントークの原点をさぐった。連載で古舘伊知郎のバックグラウンドと語り継ぐ意義に迫ります。【取材=小谷野俊哉、山内崇章】

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子供の頃は、おしゃべりじゃなかったんですよ。中学、高校くらいからですね。それまでは全然、しゃべらなかった。内圧が高まって、高校ぐらいから、思春期なんて言われる時期だからね、なんだかね。爆発した感じはありますね。

結果としては、それまでためといてよかったなと。まあ、幼稚園、小学校の頃から積極的にペラペラしゃべるタイプだったら、それこそ放電して、鬱憤(うっぷん)がたまらないから普通になってたかもしれないですよね。だから遅咲きというか、遅熟(ちじゅく)というか。早熟と反対で遅熟だったから、高校くらいからしゃべり出すのが楽しくなっちゃったんですよね。

高校時代で、男の学校ですから、取っ組み合いやったり、実況中継したりして、いろんなことをやってるうちに面白がられると、ものすごくなんか、自分が認められたっていうか。これといって特技はないんじゃないかと思っていたのが、そういう風にしゃべりが面白いと言われることが、無類に快感だったのを覚えています。

自分が小さい頃からの一連のプロレスを流れでね、力道山が活躍していたころのこと、それを一ファンとして実況風にしゃべり出したんですね。だから結構、みんなそうかもしれないけど、僕の場合はしゃべり出した高校の頃の快感とか、はっきり脳に記憶しています。

22歳で、局のアナウンサーになって、異例だったんですけど、入ったその年の夏にプロレスの実況をしたんですよ。先輩の、前の前の試合くらいでね。一番下っ端で、1試合、長州力対エルゴリアスの一戦というのを越谷体育館で実況したんですけど、それは中継録画で、「生」じゃないんですよ。それが僕のデビュー戦でした。

その時、中継録画で「生」じゃないので、それがオンエアになるのが少し(時間差を置いて)後になるんですよ。その時、新日本プロレスの慰安旅行につきあわされて、伊豆大島に行っていました。ゴルフ大会で先輩のアナウンサーのキャディーバッグを2つ両肩に担いで、30キロ、30キロ、トータル60キロ、今でも覚えてるの。苦行ですよ。

今はスポーツ実況アナウンサーも“民主化”されましたけど、まだ、封建的な時代だったんで。芸は盗めというんですよね、先輩のカバンを持って歩けと。だから先輩が朝まで飲むぞと言ったら付き合わされるし、カバン持って付き合うし、次の日ゴルフだから朝迎えに来いって言われたら寝ないで運転していくし、そんな時代でした。

今はもう大きく変わって、善しあしはいろいろあるけども。今の若い男子のスポーツアナとかかわいそうですね。BSだCSだネットTVだ、地上波だ、いろいろやる仕事があって、先輩のカバンを持って朝まで付き合わされて芸を盗むっていうの、1個もないと思いますよ。次々と放電するじゃないですか。

だから、あの時に僕はつらい思いをしてるけど、相当、蓄積されました。あの時こそ蓄電の期間、蓄電期だったなあって思います。それで、大島まで付き合わされて、夜は夜でレスラーと新日のフロントと、テレビ朝日のスタッフやアナウンサーたちがマージャン大会やるんですよ。で、俺は先輩の横について水割りを作る係なんですよ。で、ずーっと水割りを作って回るんですよ、一番下っ端だったから。

その夜、金曜夜8時。ワールドプロレスが始まるんですよ、その時に、(自分は)セミファイナルの“セミセミファイナル”を実況してるんで、それが途中から流れるんですよ。それ見たくて、先輩に恐々と「実況があるんで見に行っていいですか」と言ったら、早く帰って来い、水割り作る係なんだからと言われて。それで、相部屋の部屋にこっそり戻って、テレビをつけたら「実況・古舘伊知郎」って出たんですよ。もうね、その時の、大島の旅館の雑魚寝のところでね、背中に渦巻きが走ったんですよ、快感で。ゾゾゾゾ~と。

若い時っていうのは、脳内麻薬の出方も分かるんですね。鋭敏というか。(プロレス中継では)顔なんて出ないんですよ、だけど名前がね、「古舘伊知郎」って公に乗ったのは生まれて初めてのことで、本当にしびれましたね。

それで自分の実況部分だけ聞いて、また戻って水割り作ってるんですけど、マドラー回してる時が気持ちいいの。さっきまで、嫌々やってたのに…。

今だったら、ゴルフ場での苦行をこなしていたら熱中症ですよ、何10キロものキャディーバッグかつがされて、また水割りかい? みたいな、スナックのママじゃあるまいしって。それが実況が流れた後の快感、テロップで(自分の名前が)出た時のうれしさ、自己顕示欲が満たされたら、ホント泉を回してる女神様みたいな、世界がグルンと変わりました。そういうことを時折思い出すようにしてるんですよ。(続く)

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◆古舘伊知郎(ふるたち・いちろう)1954年(昭29)12月7日、東京都生まれ。立大卒業後の77年にテレビ朝日入社。同8月からプロレス中継を担当。84年6月退社、フリーとなり「古舘プロジェクト」設立。85~90年フジテレビ系「夜のヒットスタジオDELUXE、SUPER」司会。89~94年フジテレビ系「F1グランプリ実況中継」。94~96年NHK「紅白歌合戦」司会。94~05年日本テレビ系「おしゃれカンケイ」司会。04~16年「報道ステーション」キャスター。現在、NHK「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」(木曜午後7時57分)司会など。血液型AB。