来月5日に“ロックの聖地”の東京・新宿ロフトでフリーアナウンサー古舘伊知郎(64)が、トークライブ「戯言(ざれごと)」を開く。今年4月に客員教授に就任した、母校立大では講座「現代社会における言葉の持つ意味」を担当している。テーマは「言葉」「仏教」「脳科学」「情報化社会」だ。【取材=小谷野俊哉、山内崇章】

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授業でウケを取ろうと狙うと滑るんですよ。学生たちは単位を取ろうと思って頑張ってるんですから。だから、面白いし、新鮮ですね。じゃあ今度は反省して、来週はどうやろうかとか。テーマが言葉と仏教と脳科学と情報化社会なんで、一見関係ないと思うかもしれないけど、僕の中では一気通貫なんですよ。

授業でもよく話すんですけども、言葉というのは固定を叫んでるんですね。固定するんです。例えばギリシャ哲学だと、ヘラクレイトスは「万物は流転する」という真実をね、摂理を言ったけどもね。全ては流転するじゃないですか。人間も生まれて、老いて、病にかかって死んでいくという、この摂理は変わらない。山だって…固定した川なんかないけど、さんずいの「河」という言葉を作って、「リヴァー」という言葉を作って固定するわけじゃないですか、本当は動いてますよね。ヘラクレイトスなら「万物は流転する」というが、言葉は流転しないじゃないかと、言葉は固定なんですよ。

それから仏教はその固定を避けろと、諸行無常だよと。で、自我という自分を固定して、エゴイズムになって、俺の俺の俺のって自我を強くすると財産に悩まされる。(ビート)たけしさんなんか、(離婚で)きれいさっぱりでね、本音だと思う。自分の子供だって所有物とすると悩むんですよ。子供のことで悩む。俺の女房で、俺の子供だと思うと悩むんですよ。

だけどお釈迦(しゃか)様は、古いお経で、そもそも自分なんていないのに、自分を構成している一細胞とか粒子とか、中間子とか電子とか分子とか、37兆個の細胞でできてるってことは、命も授かったものだし…。仏教の考え方ですよ、仏教は自分中心の考え方じゃないよという。

諸行無常というのは、あんたのことだからね、固定した自分はいないから固定を避けろと、仏教は言うわけですよ。諸法無我っていうのは、お前は世界の中心じゃないからねというわけですよ、我なんかないんだよと。世界の中心なんかないよ。あなた自身が構成要素の緩やかな集合体に過ぎないんだよと…。

そういう意味で言葉は固定を叫び、仏教は固定を避けよというし、脳科学では前頭葉が自我のありかと一部で言われますけども、脳の中は固定を叫ぶんですね。記憶を一本化させて、親から1歳児の時の写真を見せられて、あんただよと言われて育ってるけど、その頃の自分と今では細胞も何も入れ替わってて、固定してますか、と。脳は、自分ですと、固定を叫ぶわけですよ。

情報化社会は、情報というのは固定を叫んでいる。忘れがちなんだけど、30年前のニュースを見ても、これは全く同じですよ。何も変わってないんだけど、見てる自分が30年たってるから古くさいニュースだなあと思うんですよ。10年前に感動した映画を見て、あんまり感動しないなあと思うのは自分が移り行くわけで、映画という情報は固定されてるわけですね。今、古い映画の「メリー・ポピンズ」を見て古いなあって。自分が変わってるだけで、「メリー・ポピンズ」は何も変わってない。フィルムは劣化はしてるかもしれないけど。だから、今言った情報化社会の情報、仏教、言葉、脳科学っていうのは、固定からの逸脱を僕は言いたいというね、それが授業のテーマなんですよ。その方が自分の悩みが軽減すると。(続く)

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◆古舘伊知郎(ふるたち・いちろう)1954年(昭29)12月7日、東京都生まれ。立大卒業後の77年にテレビ朝日入社。同8月からプロレス中継を担当。84年6月退社、フリーとなり「古舘プロジェクト」設立。85~90年フジテレビ系「夜のヒットスタジオDELUXE、SUPER」司会。89~94年フジテレビ系「F1グランプリ実況中継」。94~96年NHK「紅白歌合戦」司会。94~05年日本テレビ系「おしゃれカンケイ」司会。04~16年「報道ステーション」キャスター。現在、NHK「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」(木曜午後7時57分)司会など。血液型AB。