今年4月に母校立大の客員教授に就任して、講座「現代社会における言葉の持つ意味」を担当する、フリーアナウンサー古舘伊知郎(64)。来月5日には“ロックの聖地”の東京・新宿ロフトで、トークライブ「戯言(ざれごと)」を開く。メディアの第一線で活躍する古舘の平和への思いは強い。講義は7月16日に最終日を迎える。【取材=小谷野俊哉、山内崇章】

◇◇  ◇◇

僕はやっぱり、戦争を知らない世界だけにね、余計に1ミリも戦争に近づきたくないっていう思いがあります。

これは、日本は、広島と長崎に原爆を落とされたわけだし、戦争をやってきたわけだし、それでも日本固有の優しさみたいなのを持ってる国だと思うし。経済、政治はグローバルになっていくんですけども、一方ではね、グローバル社会で、格差の問題とかいっぱい山積している。なんとか戦争をやめられないかと。

戦争は今後、兵器としてAIも使うだろうし…。そんな、人が人の命を奪う時の嫌な感覚…。やったことないから分からないけど、あるはずで。自分でやられて嫌なことは人も嫌なんだと分かってるじゃないですか。分かってるのにやるというのは、遠い国にミサイルをぶっ放してる感覚でしょ、単純に。

戦争に行かない偉い人は、自分が行かないで、遠くからコントロールセンサーで、センターでバーンとスイッチを押して、そうやって人の命を奪う。嫌な感覚みたいなのはなく、政治上のことでしかないのでしょう。

そういう、ステーキを食べている割に、生きていた牛を想像しないで、我々は都合よく生きてるというのがちょっと似ている。

だから、僕は戦争を考えるんだったら、ある写真家が、牛の写真を撮ってることを考えるんです。このリアリティーのある写真をいっぱい撮って、牛の額にバーンと、何かを照射する仕事に従事している人が昼休みを取ります。そして、お弁当を開けて食べてる瞬間の顔を写真に撮っていました。そしたら、そこに、蚊が止まって、それも優しくシュッと追い払う。また止まって、シュッと払って、パン!とやらないで、弁当食べていた。

やっぱり、人の、動物の命を奪い、それを人間の生きる糧にするという、最前線の現場で働く人たちの最低限の身だしなみと、控えめな営みを、写真家はそこに見たって言うですよ。

そんな現場の最前線にいない人の方が、兵器で人の命を奪っているんじゃないかという、基本的な話ですよ。命の大中小はあるんですかって話じゃないですか。人間が生きるために糧として、仕事をしている現場では、最低限の人間のマナーと優しさがあると。それを我々は忘れてるんじゃないだろうかと。

問いかけの言葉を思い出したけども、そういうことも含めて、その、なんか最前線のことを、僕ら情報化社会の中にいながら、こういう光る(スマホの)画面からくみ取るじゃないですか。

「情報化社会」とは、情報が化ける時代。全ての物事が情報に化ける時代なんで、実感が伴わない。実感が伴わないと、eスポーツとか、バーチャルの中に現実を盛り込んでいく時代。戦争も実感がないことをいいことに、兵器でやってしまうかもしれない。

◇◇  ◇◇

◆古舘伊知郎(ふるたち・いちろう)1954年(昭29)12月7日、東京都生まれ。立大卒業後の77年にテレビ朝日入社。同8月からプロレス中継を担当。84年6月退社、フリーとなり「古舘プロジェクト」設立。85~90年フジテレビ系「夜のヒットスタジオDELUXE、SUPER」司会。89~94年フジテレビ系「F1グランプリ実況中継」。94~96年NHK「紅白歌合戦」司会。94~05年日本テレビ系「おしゃれカンケイ」司会。04~16年「報道ステーション」キャスター。現在、NHK「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」(木曜午後7時57分)司会など。血液型AB。