9日に死去したジャニーズ事務所ジャニー喜多川社長(享年87)の家族葬が12日、都内で執り行われた。近藤真彦(54)はじめ所属タレント約150人が集合。式の後は都内の焼き場で荼毘(だび)に付された。TOKIO城島茂(48)松岡昌宏(42)らもイベントでコメント。緊急連載「ジャニーズ王国の未来」第3回では、ジャニー氏の天才的な「演出力」に迫る。

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ジャニー喜多川社長は、日本のミュージカルショーを変革した、希代のプロデューサーで演出家だった。

00年に堂本光一主演「SHOCK」が帝国劇場で初登場した時、一部で「なぜジャニーズ公演なんだ」との声もあったが、今年で上演回数1700回を超え、定番公演になった。ジャニー氏の「いいと思うことをやり続ける。自分のカラーでやることで初めて素晴らしいショーができる」との信条に揺るぎはなかった。今では帝劇のジャニーズ公演が年4~6カ月を占め、新橋演舞場「滝沢歌舞伎」のほか、日生劇場、シアタークリエなど、都内でジャニーズ公演のない月はないほどで、東京グローブ座という劇場も持っている。

「SHOCK」初演の時、舞台上のフライングだけでなく、客席の上を飛ぶことにこだわった。帝劇の天井に穴を開ける緊急工事で実現した。ブロードウェー、ラスベガスにショーを見に行き、気に入った演出があると、高いライセンス料を払って導入した。大型LEDビジョンやプロジェクションマッピングをいち早く取り入れ、時代を先取りする感覚は際立った。「3時間の中で、1分でも気に入らない所があったら返金する」。観客を楽しませる舞台に自信を持っていた。

稽古場での灰皿投げ伝説を持つ故蜷川幸雄氏が「おれにはできない」と悔しがったのが、「SHOCK」の22段の階段落ち。けがの危険もある場面だが、ジャニーさんと光一の信頼関係があったからこそ、やり続けた。

本水(ほんみず=本当の水)を使う演出も多用したが、ジャニーさんは何十トンもの水を滝のように流す規格外の演出で、観客を引き込んだ。「滝沢歌舞伎」で女形の化粧をする過程を舞台で見せ、360度回転しての太鼓演奏も、ジャニーさんのアイデアだった。発想は天才的だった。

ジャニーさんは、自分がいなくなっても、公演を続ける環境を整えていた。共同演出という形で、18年に東山紀之が「ジャニーズ アイランド」で一部を演出し、光一も「SHOCK」の演出を手掛ける。滝沢秀明氏は「滝沢歌舞伎」の演出を引き継いでいる。ジャニーさんがまいた種は、子供たちによって継承されていく。  【特別取材班】