世界が認めた「斬られ役」が静かに旅立ちました。時代劇の「5万回斬られた男」の異名を持つ俳優福本清三(ふくもと・せいぞう、本名橋本清三=はしもと・せいぞう)さんが1日、肺がんのため京都市内の自宅で亡くなりました。77歳。兵庫県出身。

好きな言葉は「どこかで誰かが見ていてくれている」。取材では決して言葉は多くはありませんでしたが、もんどりを打ち続けてきた福本さんの「言葉」は、いつも心に刺さりました。 時代劇の聖地、京都・太秦の撮影所を舞台に、斬られ役一筋の老俳優の姿を描いた福本さん初主演「太秦ライムライト」(14年、落合賢監督)。この映画で福本さんはカナダのファンタジア国際映画祭の最優秀主演男優賞を受賞しました。この年の第27回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎特別功労賞も受賞しました。 東映京都撮影所での特別功労賞受賞のインタビュー。「オレなんかがもらってええんかな。でも頑張れば日の目をみることが、間違ってもあるんやな」。何度も「オレなんか…」を繰り返す福本さん。はにかんだような笑顔は忘れられません。

15歳のとき、親戚の紹介で東映京都撮影所に入ったのが映画の観客動員数がピークの1958年(昭33)。最初は通行人や死体の役ばかりだったそうです。先輩から「斬り方は教えられるけど、斬られ方いうもんは教えられん。お前だけの斬られ方があってええ」といわれ、「絵になる斬られ方をメチャメチャ研究した」そうです。

試行錯誤の末にたどり着いたのは「恐れないこと」。斬られるときは、頭を打つくらい思いっきり倒れ、灯籠(とうろう)にも突っ込む。「自分で痛みを感じるくらいに倒れなあかん」。

福本さんは自分たちの「京都の技」を直伝することにも力を注いでいました。1952年(昭27)に発足した殺陣技術を駆使する俳優や殺陣師からなる集団、東映剣(つるぎ)会に所属していました。東映俳優養成所(京都市)の「殺陣(たて)講座」では、若手俳優たちに実技指導をすることもありました。

刀を持った若手俳優が「とりゃ~」と斬りかかると、身をかわした福本さんは、直後に斬り込まれ、絶命…。「昔から切っ先三寸で斬るといい、切っ先に集中すると刀が伸びる」。後輩たちに直伝するまなざしは気迫にあふれ、極意について聞くと「斬られ方に正解はありまへん。一番大切なのは、互いの間(ま)ですわ」と“実技指導”をしてもらいました。

「ホンマに5万回、斬られたんですか?」。記者の愚問に「そんなん知りませんがな、ハハハ。マスコミのみなさんが、出演した映画やテレビの本数に、1本で3回斬られたと仮定したんですわ」と楽しそうに話してくれました。

半世紀以上、斬られ役として時代劇を支え続けてきました。

「努力すれば願いがかなうわけじゃないけど、努力を捨てたらあかん。置かれている立場のなかで一生懸命やるしかない」

5万回斬られ、5万回立ち上がってきた福本さん。倒れても、倒れても、倒れることを恐れてはいけない-。「日本一の斬られ役」の矜持(きょうじ)は後輩たちが引き継いでいくはずです。【松浦隆司】