アカデミー賞授賞式では例年、当該年度内に亡くなった俳優、製作者ら世界的な映画人を追悼するコーナーが設けられる。

その中で、1975年(昭50)に米アカデミー賞外国語映画賞を受賞した黒澤明監督の映画「デルス・ウザーラ」の製作に関わり、3月17日に心不全で亡くなった映画プロデューサーの原正人さん(本名山田良雄=やまだ・よしお、享年89)が日本人で、ただ1人紹介された。

原さんは、英俳優ショーン・コネリーさん、米俳優ジョージ・シーガルさん、クリストファー・プラマーさん、イタリアの映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネさんら世界的な映画人と並んで紹介。アジアからは“鬼才”の名で知られ、20年12月に新型コロナウイルス感染症による合併症で亡くなった韓国のキム・ギドク監督、17年の中国・米国合作映画「グレートウォール」などで知られる中国の映画プロデューサー張昭さんが紹介された。

プレゼンターを務めた米女優アンジェラ・バセットは「300万人以上が新型コロナウイルスで亡くなりました。途方もない喪失感を味わっています。(中略)私たちに夢を見てもいいと教えてくれたアーティスト、技術的なパイオニア、イノベーターたちは、映画を愛するという体験を認めてくれた。1つのコミュニティーとして感謝のことばを伝えたい。決して忘れません。私たちの心にとどまります」とスピーチした。

原さんは、早大理工学部建築学科中退後、独立プロダクションを経て1958年(昭33)に洋画配給会社のヘラルド映画に入社。69年に手塚治虫さんのアニメ映画「千夜一夜物語」の製作に関わると、81年には映画製作・配給会社ヘラルド・エースを設立。大島渚監督の83年「戦場のメリークリスマス」でエグゼクティブ・プロデューサー、篠田正浩監督の87年「瀬戸内少年野球団」、黒沢監督の85年「乱」、森田芳光監督の97年「失楽園」などでプロデューサーを務めた。

映画の製作と並行し、洋画の秀作を単館系の映画館に配給し、ミニシアターブームの礎を作った。98年には住友商事の子会社と合併して社名を「アスミック・エース エンタテインメント」に改め、代表取締役社長に就任。その後同社会長、相談役を経て、16年まで特別顧問を務めた。その後は、亡くなるまでHara Office代表を務めた。