【1960年(昭35)12月3日付 日刊スポーツ紙面から】

 

二日はファンが待ちこがれた〝日本一のカップル〟日活・石原裕次郎(二六)と北原三枝=本名荒井マキ子(二七)=の結婚式。新郎裕ちゃんはモーニング、新婦マコちゃんは五葉の松の花嫁衣装にツノカクシの晴れ姿で媒酌人の堀久作日活社長夫妻に付き添われ、四時から東京日比谷の日活会館フラワー・ルームでとどこうりなく挙式をすませた―。

 

○…四時半、日活ホテルのロビーはフラッシュの嵐、たえまない閃光、シャッター音が虫の声のように続く。フラワー・ルームで式を終わった裕ちゃんとマコの晴れ姿だ。裕ちゃんはテレ気味、記念撮影でも首をしきりに振り、肩をすぼめる。一段と美しい三枝はうつむきかげんだが、本当にしあわせそう。報道陣は一社で記者一人、カメラマン一人に「制限します」という〝皇太子の結婚なみ〟の取材「制限」だったが、百十二社、二百二十四人の報道陣が殺到して、映画史上に大書されるにふさわしい騒ぎだ。

○…成城の裕次郎家には早朝からファンの人ガキが出来たというし、日活会館の前にも百人ばかりの女の子たちがむらがり、日活の社員と丸の内警察署のお巡りさんが交通整理に当たった。

○…記者会見を終わると六時からシルバー・ルームでの超デラックス披露宴。池田首相(カゼ発熱のため欠席)、石坂洋次郎氏、源氏鶏太氏、同じ日活の赤木、長門、二谷、芦川、南田、藤本真澄東宝重役、三船敏郎、森雅之、千田是也、司葉子、力道山、巨人の長島、堀本、藤田、ペギー葉山、白木秀雄、ハナ肇ら招かれた客も〝一流スター〟四百人。ターキーの丸焼きなど一人六千円ずつのゴチソウが並ぶ。マコはしきりにうれし涙をぬぐっていたがタフ・ガイ裕ちゃんも「お父さん亡き後、お母さんの手一つで…」と紹介されると指で目の下をサッ…ついに泣いた。

○…一メートル以上もあるウェディング・ケーキにナイフを入れ、思い出の曲「狂った果実」を裕次郎が歌って九時お開きとなったが、この挙式七百万円はかかったというもっぱらの噂。ご両人は日活ホテルで一夜を過ごす。

 

<記者団と問答>   

―式を終わった感想は

裕次郎 どうってことねエナ。ゆうべ飲み過ぎて、ホテルに戻ったのが朝五時半。もっと緊張するかと思ったらノリトでは眠くなったよ。

三枝 裕ちゃんみたいに不マジメじゃありません。やっぱりふだんとは違います。(ここで〝鼻をクスクスやってたけど泣いてたのか〟と裕次郎からかう)

―新婚旅行は

裕次郎 もうやりません。すぐ仕事だし、来年暇があったら南米へいきたい。

―これからどう呼び合う

裕次郎 変わらねエんじゃないか

―北原さん、仕事は

三枝 いまこの席じゃちょっといえないんですが、なるべく早くやめたいんです。

(当時の原文のまま)