上方歌舞伎を代表する女形として活躍した歌舞伎俳優で人間国宝の片岡秀太郎(かたおか・ひでたろう)さん(本名片岡彦人=かたおか・よしひと)が23日午後0時55分、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため、大阪府吹田市の自宅で亡くなった。79歳。葬儀、告別式は家族葬で行われた。27日、松竹が発表した。

「コーチよりプレーヤーでいたい」と話していた秀太郎さんは、晩年まで舞台に立ち続けた。京都南座「顔見世興行」には通算71回出演した。70回を前にした取材では、30年にわたって肺気腫を患っていると明かしたが「生涯現役」を宣言した。大阪松竹座「七月大歌舞伎」に出演予定で、約7カ月ぶりの舞台が期待されていた。

13代目片岡仁左衛門さんの次男で、兄我當、弟仁左衛門とともに上方歌舞伎の名門、松嶋屋で育った。昭和30年代から40年代初めまでは上方歌舞伎が不振で、公演が減った経験もした。

上方ならではの情緒を体現してきた。遊女から女房、老け役まで幅広い役を演じ、大役では気骨と風格を見せた。よく通る声、ちゃめっ気も魅力的だった。素顔の秀太郎さんも、上品で優しい雰囲気の中に気概を見せる人だった。

近年は若手の育成に力を注いだ。「松竹・上方歌舞伎塾」「こども歌舞伎スクール 寺子屋」では講師を務めた。プレーヤーにこだわったのは育成のためでもある。「舞台に出ているからこそ、教えることも注意することもできる」と話していた。

最後の舞台は、昨年12月の京都南座「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」藤の方。初日から体調不良で休演したが、最後の2日間は出演し大きな拍手を受けた。「必要とされる役者でいたい」。自らの言葉を体現した。

 

◆片岡秀太郎(かたおか・ひでたろう)1941年(昭16)9月13日、大阪府吹田市生まれ。46年、京都南座「吉田屋」で本名で初舞台。56年に2代目片岡秀太郎を襲名。代表作は「廓文章 吉田屋」の女房おさき、「恋飛脚大和往来」の梅川、おえん、「菅原伝授手習鑑 道明寺」の菅丞相伯母覚寿、「盛綱陣屋」の微妙など。19年、上方歌舞伎の技芸伝承の業績が認められ、人間国宝に認定。21年、旭日小綬章受章。松尾芸能賞優秀賞、大阪芸術賞、京都府文化賞功労賞、伝統文化ポーラ賞優秀賞、大阪市市民表彰など。