元フジテレビでアイドル女子アナの元祖、フリーアナウンサーの寺田理恵子(59)が、15日に60歳の誕生日を迎える。2代目ひょうきんアナとして芸人たちのセクハラに耐えた日々から、これからの夢を聞いてみた。

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1984年(昭59)にフジテレビに入社。ほとんどの同期の内定が出た後の、前年10月1日の会社訪問解禁日の直前からアナウンサーとして就職活動を始めた。

「私の年は、TBSは採用がなかったんです。木村優子さんが(大学の)1年上で、同じサークル。アナウンサーとして、日本テレビとフジテレビが最後まで残りました。テレビ朝日は『クイズタイムショック』でアシスタントのバイトをしていたんですが、早い段階で落とされてしまいました」

最後の最後で、フジテレビから内定をもらった。同期は報道番組で活躍した三竹映子アナ、「おはようナイスデイ」などの吉崎典子アナ、「プロ野球ニュース」などの吉沢孝明アナ、そして「おはよう!ナイスデイ」などの司会を務めて現在は会長秘書の川端憲司。

「取りあえず内定をもらってホッとしていました。だけど『タイムショック』のことを言わなかったら、人事から電話がかかってきて『手垢のついた人はいらない』みたいなことを言われました。びっくりして、もうダメだと諦めました。でも、なんとかセーフで入社できました」

84年4月に契約社員として入社。翌85年に86年からの「男女雇用機会均等法」の施行が決まって正社員になった。バブル景気の真っ最中、「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズにフジテレビが天下を取った時だった。元祖女子アナ、アイドルアナウンサーの第1号としての道が始まった。

「私は落ちこぼれだったんで、アナウンサー室で掃除したり、お茶くみをしていました。そうしたら、人気バラエティー『俺たち!ひょうきん族』の『ひょうきんベストテン』の初代ひょうきんアナだった山村美智子さんが結婚して、入社した7月に1回だけピンチヒッターを務めました。翌年の3月に山村さんが辞めて、私が後任になりました」

ピンチヒッターで出演した時には、西川のりおに抱きつかれて泣かされた。セクハラという言葉のない時代。かわいい女子アナはいじられまくった。

「今じゃ、放送できない内容ですよね(笑い)。それまで、アナウンサーで私だけがレギュラーを持っていなかったんですが、2年目の4月から1年半、2代目ひょうきんアナをやらせてもらいました。司会のコンビを組んだ島田紳助さん、ピーヨコちゃんの片岡鶴太郎さん、アダモちゃんの島崎俊郎さん。女子アナに裸で抱きつくのが芸人にとっておいしい時代でしたが、私としてはどういう風に対応したらいいかわかりませんでした」(続く)

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◆寺田理恵子(てらだ・りえこ)1961年(昭36)7月15日、東京生まれ。聖心女子大を卒業し、84年フジテレビ入社。89年にドラマ演出家との結婚を機に退社しフリーになるも98年に離婚。00年に一般男性と再婚、引退したが、12年に死別。14年にTBSラジオ「生島ヒロシのサタデー・一直線」で仕事復帰。認定心理士資格取得。血液型A。