俳優で演出家の鼓太郎(50)が率いるシアターバイキングの舞台「DONZOKO」(東京・大塚「萬劇場」)が7月27日から8月1日まで上演される。5月に上演予定だったが、第3回緊急事態宣言で中止となり、今回はその延期公演。コロナ禍でも演劇への思いを燃やす鼓太郎に、その軌跡を聞いてみた。

◇  ◇  ◇

1987年(昭62)に史上最年少の16歳で和太鼓の日本チャンピオンになった。

「芸能界入りするきっかけは、亡くなった俳優の津川雅彦さんが企画した『アイドルワンダーランド』。白馬に乗った王子様(笑い)っていうオーディションに知り合いが写真を送ったんですが、それに合格。合格者のメンバーらと原宿のイベントなどでパフォーマンスをし、さらに気の合う10人でユニットの幕末塾を結成しました。当時はホコ天で、メンバーである彦摩呂たちと一緒に集まってストリートパフォーマンスをしていたんです。その後、幕末塾としてフジテレビの『ナイスガイコンテスト』に出て準グランプリ。グランプリは吉田栄作さんでした」

「ナイスガイコンテスト」に出場した88年にストリートパフォーマンスユニット「幕末塾」を結成して、芸能界入りし33年がたった。89年4月に幕末塾メンバーとして、秋元康氏プロデュースの『Come on Let's Dance』でCDデビュー。グループの活動と並行して、90年にTBS系「びんた」、フジテレビ系「学校へ行こう!」「華麗なる一族」「八丁堀の七人」などに出演し、俳優としてのキャリアを重ねていった。

「幕末塾は秋元康さんに劇団、アイドルグループとしてのプロデュースをしていただきメジャーデビュー。それからドラマ、バラエティー等の実績を積ませていただきました。芸能界でここまで生きてこれたのは、やはり舞台があったからじゃないかと思うんです」

演出は自身で劇団を立ち上げてから手掛けるようになった。

「最初は23歳の時です。仲間と一緒にやっていたユニットでしたが、1回だけの公演で終わりました。その後、05年に劇団K'sプロデュースというのを旗揚げしました。メンバーは10人程いたのですが、劇団員みんなを良い役で使うわけにいかず、客演だったり、ヒロインは外部にオファーをかけたり…。出演者が話題になって、多くの人に観劇していただける。そんな活動の中、劇団システムのバランスが取れず解散を決意しました。その後、出演や演出、プロデュースなどの依頼が来るようになりました。昨年には30作を超えました。現在は俳優業とともにシアターバイキングという団体を立ち上げて、プロデュースや演出をしています」

東京都は、いよいよ4回目の緊急事態宣言。

「こういう事態だから、国民全員が我慢しなきゃならない。夜は店舗でお酒が飲めない。飲食店だけでなく、集客を伴う経営者はみんなつらいご時世。僕たち演劇に関わる人間も、コロナ感染防止を徹底しなければいけない。感染したら共演者はもちろんスタッフ、お客様も濃厚接触者ということで、たくさんの人に迷惑をかけてしまう。でも完璧に対策をとっても、移動中の電車とかは怖いですね」

東京都北区で生まれ育った鼓太郎。北区は今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一のゆかりの地だ。

「北区の渋沢栄一のイベントに協力したり、大河ドラマ第8話に陸軍奉行・溝口勝如の役で出演させてもらっています。50歳になって、今まで学んだ文化・芸術の知恵をしぼり、生まれ育った北区に恩返しができたらいいなと思っています」

オフの日には地域振興の手伝いをしたり、子供たちに和太鼓を教えている。

(終わり)

◆鼓太郎(こたろう)1970年(昭45)10月6日、東京都北区生まれ。太田プロダクション所属。16歳の時に史上最年少で和太鼓の日本チャンピオンになる。88年ストリートパフォーマンスユニット「幕末塾」のメンバーとなり、フジテレビ系「ナイスガイ・コンテスト」で準グランプリ受賞。89年(平成元)に秋元康プロデュース「Come on Let's Dance」でCDデビュー。94年の「免許がない!」で映画デビュー。ドラマは90年のTBS系「びんた」など多数にレギュラーやゲスト出演。最近ではNHK大河ドラマ「青天を衝け」、テレビ東京系「警視庁ゼロ係」、フジテレビ系「スカッとジャパン」がある。その傍ら、シアターバイキングを主宰し、舞台のプロデュース、演出を行っている。特技は和太鼓、武道。趣味はマリンスポーツ。176センチ、65キロ、血液型AB。